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ミリタリーな戯言と独り言

軍事系戯言の坩堝
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2007/02/21
03:02
試作機の魔窟№.013 ハインケルHe219ウーフー

現実はそんなに甘くないもので・・・

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He219と言えば『悲劇の』だとか『最強の夜間戦闘機』だとか言われるけど実はいろいろ問題のあった機体で今回はそんなお話をしようかと、そもそもHe219はP1055という昼夜爆撃/偵察機計画が下敷きになってて、1940年中頃にドイツ本土が憎っくき英国空軍の夜間爆撃にさらされてドイツ空軍は急遽Do217とかの爆撃機に機銃とかを付けて夜間戦闘機にでっち上げたわけなんだが性能がアレだったこともあって1941年夏頃になると航空省からP1055を夜間戦闘機にしたHe219の開発を命ぜられて、設計を少し変えたモックアップ審査を通過して試作機も安定性が悪い以外は優秀だった。がしかし、みなさんご存知のとおり生産計画が縮小されたりだとか航空省の横槍でなかなか配備は進まない、しかも比較試験によるとHe219はJu188より速度も速いし生産性もいいって言うからハインケルが言ってたみたいにナチ党から嫌われてたんだろうか?

ちなみに速度は600キロから650キロなんて言われるけど実際はレーダーアンテナとか排気管の消炎ダンパーとかの実戦装備のせいで500キロ強から600キロを少し切る程度で言われるほど速くなかったそうだ。しかも大戦も後期になると(もっと)高性能なレーダーを積んだモスキートに喰われることが多くなって生産数が少ないわりには対モッシー用の機種がやたらと多かったりする。あと実戦部隊からの評価が必ずしもよかったわけじゃなくて、最高速度だって速いに越したことはないけどそもそも相手は低速な重爆撃機だからそんなに大事な要素でもないし、滑走路に敵の爆撃で穴ぼこが開くとBf110みたいな後輪式は尻が浮くから問題ないもののHe219は前輪式だからはまって脚を壊すことがあったそうだ。それから世界初の実戦装備型射出座席装置は故障もあったそうであるパイロットは敵爆撃機の反撃を受けてイザ脱出しようとしたら射出レバーが無くなっていたそうで、そう言う場合はキャノピーを開けて飛び出せばいいんだがなにせHe219のプロペラはコクピットの後ろで回ってるもんだからヘタすりゃ飛び出した瞬間ミンチにされかもしれない(そのための射出座席装置でもあるんだが・・・)それにこれは全ての飛行機にも言えるが垂直尾翼が恐いとの話もあった。つまりは性能に出ない部分の欠陥が多かったわけだ。あと風防正面の防弾ガラスも薄くて倒立式の防弾版を付けたりしたそうだが照準器に合わせた縦長覗き穴が付いてるだけの代物だからこりじゃ周りのよく見えない夜間戦闘機の視界なんてほぼゼロになるってことで途中から廃止にされてる。

まあなんだかんだ言ってもHe219が高性能な夜間戦闘機だったのに変りはないんだがそもそも夜間戦闘機なんて攻めの爆撃機に対する究極の守りの兵器だからいくら高性能でも戦局なんて・・・・なんてことは全てに言えるわけでつまりはバランスだね、一番大事なのは

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2007/02/15
11:43
試作機の魔窟№.012 空技廠急降下爆撃機彗星

彗星は輝くことなく散りにけり

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1930年代後半ってのはいろいろ飛行機が発展した時期でJu87とかドーントレスとか九九式艦爆とかみたいな急降下爆撃機にとっては黄金期だった。で、その後の時代になると一気に衰退したわけでドイツは後継機開発に失敗して米国のSB2Cはスカタンな性能でここに日本の彗星も入ってくるってわけだ。

日本だと十一試艦上爆撃機(九九式艦爆の試作型)は当時としては結構近代的な機体だったから失敗したときには艦爆家って呼ばれた愛知が提携していたハインケルのHe118をライセンス生産しようとしてて、そもそもHe118はJu87と開発競争したんだが速度は速かったものの肝心の急降下性能が悪くてテスト飛行で急降下してみたらプロペラが逆回転してしかもその後ギアボックごと吹っ飛んで操縦不能で墜落したような不出来な機体だったのと九九式艦爆が見事に成功して生産計画は見送られた。でも速度は速かったし機首周りの処理とかが洗練されてて(ぱっと見、埼玉県で作ったフェアリー・バトルみたいなんだが)どうもそれに感動したらしくて空技廠で一応九九式艦爆の後継機ってことで作ることにした。なんで一応かって言うと当時最新の機構とか設計を盛り込んだ実験機も兼ねてて、生産性とか整備性は犠牲になるけどそもそも艦載機なんて機種は配備が限定されるから大量生産はありえないし空母部隊なら整備とかも大丈夫だろうって計算だった、太平洋戦争が始まらなければ。

それで試作1号機は昭和15年末に完成して最高速度が551キロ、航続距離が3889キロの零戦一一型よりも高性能で当時存在するいかなる急降下爆撃機、つうか第二次大戦中に実用化かれた急降下爆撃機の中でも一番高性能だった。まあそれはよかったんだがやっぱり性能追求しすぎたせいで発動機と機体の両方で故障とかが続発、しかも愛知に生産させようとしたら「複雑すぎるっ!」と拒否されて再設計をしていると海軍が試作機を艦上偵察機にして空母蒼龍に載せてミッドウェー海戦で沈めるはずの空母から発進された艦載機(SBDドーントレス)に空母ごと沈められてその影響で開発はさらに遅延するってなまさに踏んだり蹴ったり沈められたりな状況だった。それから二式艦上偵察機にしたりとかいろいろあって昭和18年終わりによ~やく制式採用されたんだがここでも機構の不具合とかが多発、しかも搭載されてる熱田発動機が同じDB601Aを国産化したハ40と違って冷却水に水を使った水冷発動機で稼働率も最悪で、言われた言葉が「繊細複雑にして実用機にあらず」、よっぽど酷かったようだ。それの半年後に起きたマリアナ沖海戦だと81機が参加したもののほとんどがF6FとVT信管付き高射砲(高角砲)に喰われて最後まで残った機体はわずか6機、もう涙も出ないような結果だった。

その後の日本軍はぎゃーすかやりながら押しまくられて彗星も発動機をパワーアップしたり夜戦型にしたり空冷にしたりしても硫黄島沖で護衛空母ビスマーク・シーを撃沈した以外は特に戦果も出せずに事実上特攻仕様の四三型が作られて終戦したわけなんだが、いやはやもう哀れとした言いようが無いな

2007/02/09
17:51
試作機の魔窟№.011 ノースアメリカンNA-73

マスタングは低空から現れ低空に帰す

NA-73.jpg

 

 

 

NA-73なんて言っても大概の人には伝わらないだろうから分かりやすく言えばP‐51マスタング(ムスタングか?)の米英両方向けの原型機だ。英国ではドイツがいきなり戦争始めてしかもありえねー速度で隣国を次々侵攻したおかげで気付いたときにはドイツ軍はドーバー海峡を挟んで目と鼻の先の距離にいた。しかもスピットはまだ数が揃ってなかったし補助とは言え一部戦線だとグラディエーターまで戦ってて新鋭Bf109に対抗できるような戦闘機が決定的に足らなかった。そこで戦争には参加してないけど味方な米国に使節団(P-38のときのあれだな)を送って比較的よさげなP-40を輸入しようとした。したのはいいんだけどP-40が米陸軍に配備されたのが40年中ごろで生産元のカーチスは米陸軍への納品でいっぱいいっぱいだったから当時中小メーカーだったノースアメリカンにライセンス生産させようとしたらノースアメリカンは「同じアリソンエンジンでP-40より高性能な戦闘機を作ってやる」と言った。そもそもP-40自体が前に作ったP-36ホークを発展させた言わばやっつけ仕事的なものだったから同じ年代の戦闘機と比べてもあんまパッとしない戦闘機であって戦闘機なんか作ったことなかったがどうもノースアメリカンには成功させる自信があったらしい、それで英国使節団も最初はかなり怪しがってたけど最終的には320機の発注を条件付で引き受けたんだと、それでその条件が1.120日以内に原型機を完成させる2.P-40の設計データを買って参考にすること3.P-40より(当然だが)高性能なこと、データと性能はいいとして当時で普通に戦闘機を作るとしたら最低でも1年以上はかかるから開発期間120日はかなり短かった、きっと最初から作れるわけないと思った英国紳士らしい陰湿ないじめだろう、でもノースアメリカンは作ってしまった。しかもラジエーターを胴体下に付けるとか層流翼を使うとかして話は前後するもののスピットファイアの低空型よりも高性能だったし航続距離もかなり長くてそれで試作1号機は燃料コックの切り替えミスで墜落しちゃったものの性能は良かったから英国は防弾とかを強化したNA-83をもう300機追加したりした、ちなみに米はどうしたかというと一応興味はあったらしくて2機をXP-51アパッチの名前で受け取ったものの適当に調べた後は倉庫に押し込まれていた。それと、最初から完璧だったわけじゃなくてそもそも積んでるアリソンエンジンが高々度で弱い上に機体重量が重かったから上昇速度と上昇限度が悪くて高空だとまったく使えなった、あと視界(特に後方視界)も劣悪でかなり酷評されていたそうだ。ただ、低空性能は卓越していたから低空でも問題ない対地攻撃機として(このへんタイフーンとかエアラコブラと同じだな)活躍して最初の空戦戦果としてFw190を撃墜したりしている。そのころ米国だと日本海軍に真珠湾(正確には真珠港らしい)とフィリピンを攻撃されて機動部隊を除く太平洋艦隊と航空戦力が壊滅、しかも当時の陸軍の主力戦闘機は性能の低いP-40と性能はいいけどコストの高いP-38だけだったからかなりあせっていろんな会社に戦闘機を作らしたりしているうちにちょっと前に適当にテストしてしまいっぱなしにしていたXP-51を思い出したようでこれを引っ張り出してテストしてたところかなりの高性能でこれにビックリした米陸軍は生産中のマスタングMk.ⅠA(英国用)を自軍用にぶん取ってして急降下爆撃機型も発注している、前のテストはよっぽど適当だったんだろうか

それから米軍のP-51は北アフリカ戦線でデビューしてエンジンをアリソンから英国のマリーンに換装してから劇的に性能が上がって米国でもライセンス生産をして、癖が強くて航続距離の足りないP-47に変って爆撃機の護衛戦闘機としても活躍したのはご存知の通りだろう、ただしP-51は元々高々度迎撃機のP-47と違ってターボチャージャーを積んでいなかったから高々度を飛行できなくて護衛される爆撃機もそれに合わせて飛んでいて、つまり逆にいうとP-47が低空で対地攻撃をするのもまた間違っているということなんだろうか?それで50年に起こった朝鮮戦争では本当はP-47を使いたかったそうなんだがあんなに作った(1万5683機)はずなのに残ってなくて仕方なく搭載量が少なくて液冷で被弾にも弱かったもののP-51が対地攻撃機として使われたんだそうだ。ちなみにP-51がはじめて極東戦線(いわゆる太平洋戦線ね)に配備されたのが昭和18年11月のビルマで、ミンガラドン基地に展開していた陸軍の飛行六十四戦隊の一式戦と初交戦したものの7機中3機が撃墜されてしかもこの地方に進出したばかりの第311戦闘爆撃航空郡司令のハリー・ミルトン大佐が捕虜にされる大失態を犯したとか

2007/02/07
21:59
試作機の魔窟№.010 ロッキードXP-38

やっぱり理想と現実は違うのね

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今回は名機P-38の悪いところを穿り返そうという悪趣味企画、別にP-38が嫌いなんではなくて皮肉屋なだけです

P-38といえば山本長官の乗った一式陸攻を撃墜したりとかいろいろ話題のある機体でスカンクワークスの祖であるケリー・ジョンソンが空力担当主任をしたりして速度なんかを重視した高々度迎撃機、世界で唯一成功した双発戦闘機なんても言われていて実際に試作型のXP-38は最高速度676キロをたたき出してる傑作機なのだが問題がなかったわけでもない・・・・・

まず乗ったパイロット全員感じただろう問題で脱出が難しい、背後に水平尾翼があるもんだから無理に飛び出すと身体をぶつけたりエレベーターについてるマスバランスに引っかかったりする、あー痛い痛い

それと試作機だとあんなに突出部がなくて綺麗だったエンジンナセルにアゴとかエアインテークが付いたりしてどんどん不恰好になってる。実は最初の生産型でも空気取り入れ口とかが増えてたんだが排気タービン(ターボチャージャー)の空気取り入れ口が翼端になってて爆発事故が多発、それで最初はマスタングみたいだったエンジンナセルが最終的には(ノーズアートは描きやすくなったんだろうが)P-40みたいになっていた、きっと空力的によくしようとしすぎて冷却不足気味だったんだな。それと急降下するとエレベーターが激しいバッティングを起こして最終的には操縦不能で墜落してしまった。マスバランスを追加したりしてある程度解決できたらしいけどダイブブレーキも追加しているのを見ると根本的には無理だったみたいでドイツ軍機相手だと高々度以外では分が悪かったらしくて損害も少なくなかったとか。それと一番深刻だったのが武装とか装備を追加しようにも機体を絞りすぎたせいでスペースに余裕がなかったことで偵察機型だとレーダーポッドは機首に懸架して最終型のP-38L型でも最高速度は666キロ止まりで後期以降はP-47とP-51に代わって退役していってる。あと最初P-38にはアトランタという名前が用意されていたんだが英国空軍向けのライトニングを付けた。実はこのライトニングMk.Ⅰがどうしようもないダメ飛行機でどうもこの頃(40年中頃)の英国はドイツからの高々度爆撃をそ~と~警戒していたらしくて同じくダメ飛行機のウェルキンスが生まれたててP-38の噂を聞いた英国とフランスの兵器購入使節団が667機を注文してフランスが届く前に降伏したから英国が引き取ったんだが米国が軍事機密を理由にターボを外して(いわゆるブラックボックス部分ってやつだな)プロペラの回転方向も同じにしたところ性能がガタ落ちして受け取りを拒否、これを聞いて米国もさすがにあせったらしくてターボを戻したMk.Ⅱを作ったものの頭にきたのか必要なくなったのかは知らないがこっちも受け取らなかったんだとさ

2007/02/02
22:42
試作機の魔窟№.009 フォッケウルフTa154

参考にしたわりに全然似てない

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1930年代に各国は「戦闘機より速い爆撃機」を作って完成して結局追い抜かれたわけなんだがAr234は置いといて戦闘機より速かった爆撃機っていうとモッシーことデハヴィランド・モスキートだな、最初の型は偵察機なんだが設計案は爆撃機だったわけで600キロ以上の高速で夜間なんかに爆弾落として気付いた時には闇の中、しかも木製だからレーダーにも(どの程度かは知らないが)映りにくかったとか。英国はご存知のとうり日本と同じく島国で資源も植民地に頼っているから前の大戦の時(つまりWWⅠ)みたいに潜水艦で海上封鎖されたらヤバイわけだ。で、モッシーの材料は木で木なら少なくともボーキサイトよりは簡単に入手できるし家具とかピアノ工場も動員できて表面を滑らかにし易いっていう利点があった。それでデハヴィランドは一回この案を提出して「飛行機が羽布張りから金属に移り変わってる時期にそんなもん作れるか!」ってつき返されたんだがイザ戦争が始まると飛行機作りに必要な軽金属(つまりアルミだな)の供給が心配になってきてデハヴィランドに作らせて高性能だったから採用したのがモスキート

それでもうちょっと時代を進めて40年代初めのドイツでは夜になると英国のランカスターとかハリファクスとかが街に爆弾をポタポタ落としに来てそれをBf110とかJu88が迎撃する夜間戦闘が盛んに行なわれていたんだがこの頃からすでにドイツは物資が無くなってきてて、そもそも無線とかの電気のコードに必要不可欠な銅の産出量は日本より少ないんだから当然飛行機に必要な軽金属とかがもかなり危ない状態だった。

それでフォッケウルフはモスキートを参考にして木製の夜間戦闘機をわずか10ヶ月で初飛行させて肝心の性能も結構良くて最高速度が660キロ、武装が20ミリと30ミリ機関砲が2門ずつの合わせて4門で最高速度はレーダーアンテナとか消炎排気管を装備してない状態のだろうけどHe219で40キロ低くなってるから実戦装備しても最高速度はHe219より20キロ程度速い620キロぐらいで武装が同等か少し劣る程度だからやっぱり高性能だったんだろうな。こんだけいい事ずくめなので当然大量発注が舞い込んだんだがこの運悪くタイミングで揺り返しが来てしまった。完成した機体が次々と空中分解を起こして墜落、原因は接着剤の不良だったんだがこのずっと後に作られたHe162が同じような事故を起こしてるのを見ると原因不明だったんだろうか?それで気味が悪くなったのかはしらないが発注は取り消し、完成したのは試作も合わせて9機のみだった。

ちなみにTa154はモスキートを参考にしたわりには木製以外で似てるところが無い、って言うか全然似てない、まず前輪式だしコクピットは並列のタンデム型、高翼配置の主翼でその主翼も尾翼もモッシーが楕円なのに対してTa154は丸みを帯びた角型、ラジエーターもモッシーが空気抵抗を減らそうと主翼に埋め込んでるのにTa154は環状配置で独式モスキートと言うよりもHe219廉価版にしか見えない。