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2010/07/09
02:10
日本海軍夜間戦闘機

う~ん、「こっちでも書くヨォ」と言ってからかれこれ1年経過していましたが今更ながらに更新


今回はしばらく愛読書になってた大日本絵画の「日本海軍夜間激撃戦」などから日本海軍夜戦各機の自分のメモがわりにも覚え書きをしておく

十三試陸上戦闘機・二式陸上偵察機・月光
J1N-41.jpg
日本で唯一の専用夜戦であり主力といえば月光である。
月光が陸攻の護衛である十三試陸戦から派生したのは言わずもがなな話であり、これを考案したのが小園中佐であるのも有名だ。

夜戦機の主装備である斜銃は小園中佐の発案で九八式陸上偵察機(陸軍の九七式司令部偵察機の海軍型)に空対空爆弾である三号爆弾二発を搭載して見事B-17一機撃墜、一機撃墜不確実としたのが発端でこのことから機銃を下斜めに付き出して装備したほうが命中させやすいのでは?と考え同時に上方向への装備も思いついたとされる。ただ、小園中佐はこの時この変則機銃を夜間迎撃だけでなく対地攻撃や対戦闘機戦にも使える万能兵器と考えていて、昭和17年11月下旬の大型機(B-17)撃墜対策会議に現地の情報を知っているとして引っ張り出された際に対抗策としてこの変則機銃案を披露した際に冷笑される原因となった。
結局この時の対策会議では斜銃案はお流れとなったのだが小園中佐と同じく下方機銃装備の有効性を主張していた浜野喜作中尉の登場により斜銃の実用化は一気に進展する。
ラバウルに向かうまで半年しかない小園中佐に対して浜野中尉は斜銃装備機として三座で航法能力が高く機体の大きな十三試陸戦を提案した。また、小園中佐の斜銃万能論に対して浜野中尉は機動戦による敵機との衝突の可能性が低く、下方から地上の闇に紛れられる夜戦機への装備が有効として、取り付け角は姿勢確保のために水平線を見据えれて探照灯の照射圏外から無修正で命中弾を与えるために30度とした。
小園中佐はこの浜野案を航空本部で披露して詳細なデータが出されていたことから理解を得ることができた。
しかし、制式兵器改修には軍令部→空技廠飛行実験部→横空の流れが必要で時間がかかるとされたが小園中佐は「もうこれ以上は待てんから、自隊の工作力でやるぞ!」と言い放った。だがこの後、十三試陸戦の航空本部の担当官だった永盛義夫技術少佐が放置されていた十三試陸戦の斜銃装備を提案して、実用機ならまだしも用済みの試作機の改造で反対意見を押し切って突貫作業でラバウルに持ち込まれて初戦でいきなりB-17二機を反撃も受けずに撃墜して月光の名を拝命した。

月光はその後しばらく海軍唯一の夜戦機として運用されたが、夜間迎撃以外にも夜間の偵察や襲撃、哨戒に魚雷艇刈りにも使われた。変わった任務では昼間に敵重爆編隊の銃座の射程外から同行させて命中率の芳しくない三号爆弾の投弾指示をしたこともあり、陸攻隊の夜間雷撃では敵艦艇の撹乱のために電探欺瞞紙(チャフ)の散布と下方機銃の機銃掃射で援護したこともある。

月光の評判では彗星に比べれば元が戦闘機であるため安定性は良いが失速特性が悪く着陸が難しいと言うのがほとんどの搭乗員から言われ、また発動機のプラグが汚れやすいともされている。
さらに大きな問題となったのが最高速度が500㎞程度で重爆に感づかれてフルスロットルや降下加速されると逃がしてしまうことが多々あった。
そういうこともあって月光の後期生産型や改修を受けた機体では速力向上のために推力式単排気管として、排気炎が分散されて目立たなかったので消炎ダンパーはされなかった。なお陸軍の二式複戦「屠龍」では消炎のために推力式単排気管を伸ばしたが効率が落ちたので戻したと言われている。

月光は大戦後期まで運用されて機上対空電探である十八試空二号無線電信機二〇型(FD-2)も装備されたが理論上は実用に耐えうる出来のはずが現場では扱いきれ無かった。さらに昭和19年末には生産が停止されて以降整備も予備部品をやり繰りして行うことになるので稼働機が減り続けて性能も低下していた。

彗星一二戊型
68e32ae4.jpg日本海軍では旧式化してた月光の代用として既存機の夜戦化を考えて、そこで白羽の矢が立ったのが複座で運動性の良い艦爆「彗星」と陸爆の「銀河」だ。
彗星は高速で複座ゆえに航法能力にも問題はなかったが機体サイズから武装は斜銃1挺が限界だった。そこでより強力な30ミリ機銃の装備が考えられ、試射(二式か五式かは不明)が行なわれたが射撃時に縦揺れを起こして装備不可能とされたため斜銃は20ミリ機銃1挺とされた。
ただ、彗星は機体性能は十分だったもののそれ以外の部分でいろいろ問題があった。まず水冷発動機の熱田と機体各部が電動化されていたので整備員の不慣れと不調による信頼性と事故、それと夜間戦闘機の月光と違い彗星は艦爆として受領してから航空廠で改修を受けるので夜戦型の定数が揃わない問題もあった。また、垂直尾翼の面積を爆撃機型より増しているがそれでも機体の安定性で月光に劣るとされている。
初戦果は昭和20年2月10日に三〇二空の彗星隊で元水偵乗りの中上飛曹とパイロットの金沢少尉は午後3時8分に銚子方面の高射砲の弾幕の中にB-29を発見して急降下から急上昇して敵機の降下方に張り付き、斜銃を発射して急降下で離脱、上昇して第二撃を加えると右内翼のエンジンから白煙を吹き、第三撃で弾を撃ち尽くしたため離脱、離脱時に衝撃を受けたのと後で探しても見当たらなかったため空中爆発を起こしたのは確実としている。これ以降彗星も戦果を伸ばし始めて生産の停止した月光に次いで多くの撃墜記録を挙げている。なお、有名な芙蓉隊も当初彗星一二戊型を装備したが夜襲任務が主だったため斜銃を外したり通常の彗星も装備して、弾頭から光を出して地上からの反射で爆発する三一号光電管爆弾や試作段階の三式一番二十八号ロケット爆弾を使用していて弾道が良く当てやすかったと言う
なお、彗星には発動機の熱田三二型の生産が遅れたことから空冷の金星六二型に換装した彗星三三型が作られているが一応三三型夜戦も作られている。下の彩雲30ミリ機銃夜戦の後ろをよく見ると最後部の風防が金属張りで斜銃が装備された三三型があるのがわかる。写真に写っている以上存在していたのは確かだが飛行隊員のほとんどが記憶しておらず記録も無いため詳細は不明で三三戊型などと呼ばれたかも分からない。

夜戦銀河4a698c95.jpg
彗星と同時に海軍が改造夜戦として目をつけたのが陸上爆撃機銀河で急降下爆撃機のため運動性、機体強度は十分で大型な分武装にも余裕がある。爆撃機を流用した夜戦機ではドイツのJu88やDo17、英国のモスキートとブレニム、米陸軍のP-70(A-20ハボックの夜戦型)などがある。
海軍では夜戦機化のために発動機を誉から信頼性の高い火星二五型に換装して白光と命名したが書類上で月光と誤認しやすいため後に極光に改名された。だが極光は速度が20㎞以上低下して多くが陸爆に戻した銀河一六型にされた。一一型に20ミリ機銃4艇を装備した丙戦(夜戦)の銀河二一型もあるがこれは使用記録も写真も存在しておらず、実用されたのは20ミリ機銃2挺か30ミリ機銃1挺装備の一一型改造夜戦だけだったようだ。なお、銀河には三式六号無線電信機四型(H-6)を搭載した機体があり、これは洋上索敵レーダーで水上艦の他に大型機も感知できたが精度は低かった。
銀河夜戦は実用数から戦果も少なく、運動性でも他の月光や彗星に劣っていた。

夜戦彩雲・零夜戦
f40e4bca.jpgドイツの夜戦隊が相手にしたのは英空軍のハリファクスやランカスターだが日本はさらに高性能なB-29を相手としたため高性能な夜戦機が求められて快速で鳴らした艦上偵察機「彩雲」の夜戦化が実施された。
彩雲の装備は20ミリ機銃2挺でこれは偵察席部分のキャノピー上部を金属張りを貫通する形で装備されて、画像の30ミリ機関砲(五式か?)を装備したが彗星の時と同じく反動が強すぎて彩雲のヤワな機体では強度問題があった。
実戦では偵察機と言う機種から機体強度の低い彩雲は搭乗員から嫌われて、零式水上観測機から水上戦闘機「強風」に乗り継いでから夜戦隊に転換した三〇二空第三飛行隊の永目安三中尉は搭乗員が多くてなかなか乗れない彗星の代わりに乗り手が少なく、急機動を行わない下駄履き出身の自分なら彩雲を乗りこなせると考えて数回操練を行っているものの戦果は上げられなかった。
夜戦の場合敵機を発見したら遮二無二突っ込んで攻撃しなければならず速度があっても機動性がなければ務まりにくい機種なので、偵察機の彩雲には荷が重かったのだろう。

零夜戦は零戦に20ミリ斜銃1挺を装備した数多いA6Mシリーズの派生型の一つで、ハセガワからプラモデルが出ているので知っている人もそこそこいるだろう、ただ二式水戦や零式練習機と違って具体的な活動状況が今ひとつ伝わらない機体だが日本海軍夜間激撃戦には運用状況が書かれている上に零夜戦の写真が掲載されているのでかいつまんでいこう。
防空戦闘隊である三〇二空には元々零戦は配備されていなかったのだが配備されていた月光や雷電に比べて扱いが楽なので一個分隊が用意された。さらにこの零戦分隊は美濃部正大尉が温めていた夜間の空母襲撃隊としての運用が思案されていて、さらに小園中佐は月光開発時にそうだったように斜銃万能主義者だったため飛行長の意見を聞かずに零戦にも斜銃を装備しようとしていた。それに対して美濃大尉は月光と同じく零戦による夜間重爆迎撃機と考えたため使えると答えて装備された。
この斜銃装備零戦は月光や彗星の単純に30度上向きの斜銃とは違い胴体左舷下部から外側に30度、上方へ10度のかなり変則的な角度で取り付けられて三式小型照準器が風防内部に取り付けられた。
44954c6f.jpgこの変則斜銃は雷電にも装備されていて、画像の三〇二空の雷電の丁度キャノピー下の白い四角い部分に装備されていた。
なお、零戦に「ゼロセン」と「レイセン」の二通りの呼び名があるように零夜戦でも「ゼロヤセン」と「レイヤセン」の二つがあったが本家の三〇二空では前者の「ゼロヤセン」が主流だったそうだ。

こうして零夜戦は実用化されたが昭和19年11月20日に暴発事故が発生したためコクピットの左後に単純に斜銃を装備する方法に、照準器も三式小型照準器から透明プレートの簡易型に変更された。ハセガワのプラモはこの後期型(便宜上の名称で正式ではない)のモデル化だが箱絵とは違い航法能力の低さからか夜間の迎撃機戦闘は行なわず昼間迎撃が主で重量的に不利ながらF6Fヘルキャットと空戦して撃墜したこともあった。この零夜戦と関係あるかは不明だが敵重爆より低空から攻撃できる優位性は認められたようで排気タービンを装備した雷電三二型では斜銃2挺(堀越氏の回想では4艇)の装備が予定されていたし烈風の発動機をフルカン継手過給器装備のMK9Bか排気タービン装備のMK9Aに換装して武装強化した烈風改では五式30ミリ斜銃2挺の装備が予定されていて単発単座戦闘機への重爆迎撃装備とされていたようだ。

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2009/02/03
21:24
試作機の魔窟№.024 ホーカー・タイフーン/テンペスト

性能は良い
e3a9f0ff.jpg
各国軍第二次大戦最良の戦闘機ってなんだろう?
アメリカなら間違いなくP-51マスタング、ドイツだといろいろ意見が分かれそうだがTa154が妥当だろう。ソ連ならYak-9、イタリアならMC.205で日本では疾風と紫電改で意見が分かれる所だろう

ではイギリスは?スピットファイヤと言いたいところだが武装、運動性、速度、航続距離を兼ね備えたホーカーテンペストが最良の戦闘機最右翼だろう

そもそもテンペストの大元であるタイフーンは2000馬力級発動機を搭載したハリケーンの後継機の迎撃機として開発されたがこの時ネピア・セイバーH型エンジン搭載のタイフーンと同時にロールスロイス・バルチャーX型エンゾンを搭載した姉妹機のトーネードも同時製作されていた。しかしバルチャーエンジンはあまりの複雑怪奇な構造から信頼性が低く搭載した全ての機体が欠陥機とされた悪夢のようなエンジンで無論生産が中止されたためもれなくトーネードの開発も中止された。タイフーンのセイバーエンゾンの信頼性も高かくはなく、構造はハリケーンが胴体前部セミモノコック、後部鋼筋骨組みに対して胴体前部鋼筋骨組み、後部セミモノコックと逆になりラジエーターは当初空力的に優れる胴体下部だったがトーネードが冷却不足だったため顎付ラジエータに変更、昇降はカードア式と進化したんだか退化したんだか良く分からない設計だったが1940年2月24日になんとか原形機が飛行したものの最高速度は予定速度747kmに対して660kmと予定を80km以上下回ったもののドイツ軍の勢いもたけなわだったためイギリス空軍は39年末にトーネードとタイフーン1000機を発注していたため開発は続行されバトル・オブ・ブリテンによる中断を挟みながら41年7月にはなんとか空軍への引渡しが始まったがセイバーエンジンは耐久時間が1日ちょっとしかなく機体は排気がコクピットに侵入して一酸化炭素中毒を起こす危険があったためパイロットは常に酸素マスクをつけなければならなず、極めつけは7.7ミリ機銃を沢山搭載するためにブ厚くした主翼のおかげで迎撃としては使用不可能なほど上昇速度が遅く、おまけに配備が進むと急降下からの引き起こしで尾部が千切れる致命的欠陥も見つかったがこちらは補強を施し何とか解決した。

こんな具合のタイフーンではあったがエンジンと排気の問題は改良により徐々に解決されたものの上昇力は主翼の厚さが根本原因のため解決できず「低空でしか能がないなら・・・」と戦闘爆撃機として使用され3インチロケット弾を装備して地上のドイツ軍を血祭りにあげることとしてドイツ兵たちからはP-47と一緒に“ヤーボ”と恐れられるようになった。

結局のところ戦闘爆撃機として名目は保ったものの迎撃戦闘機としては大失敗作のタイフーンの根本的原因は主翼にあるわけで当然ここを手直ししてまともな(本来の)姿にしてやろうと思うのは当然の流れであり41年11月にタイフーンⅡとして手直し計画が始まったのだが翼内燃料タンクの容量が減ったため機首に燃料タンクを増設したため胴体が延長され名称もテンペストに変更された。エンジン選定の紆余曲折は省くとして44年5月には実戦使用され、6月にはV-1ミサイル攻撃が実施されテンペストは最多迎撃を誇った。テンペストは非常に高性能で武装も強力だったが配備が遅すぎて終戦まで800機が生産されたのみで対日作戦にも投入できなかったためV-1迎撃と発展型のシーフューリーの朝鮮戦争の活躍以外ではあまり見るところのない機体となってしまった。これを“悲劇”とくくるのは楽だが多分設計者の人為的ミスの方が大きいんだろうな

2008/12/15
23:14
サバゲレポ:デイジーカッターかツングースカ

ここ半年間大会(自分は参加しなかった)を除き雨が超々ピンポイントで降っていたのですが昨日は好天に恵まれました。






フィールド内の道が重機でドロドロになり奥の森が伐採→そのまま放置と言う
デイジーカッターかツングースカ大爆発になっていてものすごい惨状でした。
C212-BM-13.jpg←こんな感じ、つうかもっと酷かった







まあその後移動して別のチームさんと合流させてもらったので問題なかったのですが午前中に一回やった感じだと異様に視界が広いわりに障害物がものすごく多くてスナイパー天国の塹壕戦のような感じの未知の戦いとなっていました。

2008/10/18
02:49
世界の迎撃機~アメリカ陸軍辺~

戦間期(戦前)のアメリカは第一次大戦の手痛~い被害のおかげで何処の国で戦争が起ころうがしらぬぞんぜるのモンロー主義が蔓延っていて、軍縮もあるだろうがB-17を「沿岸防衛用の空中要塞」といろいろと迎撃機を開発していたりする。
有名どころからいえばP-38ライトニング、試作機が世界最高速度を記録し(壊れたけど)第二次大戦の米国エースのトップ2の愛機でもあったりと何かと話題には事欠かない機体で双胴双発の洗練された流線型のフォルムを持ち、排気タービン付きエンジンに当時としては強力な武装を持っていた。ただ、エンジンが高空性能の低いアリソンエンジンだったため排気タービンの効果が相殺されて高々度性能はそんなに良くなかったとされ、インタークーラーがJ型までは主翼の内部に取り付けられていたが吸気が悪かったようでエンジンが過熱、爆発することがあったためJ型からエンジンナセル前部にアゴ型に配置されるなどいろいろ一筋縄ではいかなかった機体だったといえる。
戦闘爆撃機としての活躍に目が行きがちだがP-47サンダーボルトも立派な高々度迎撃機である。排気タービンに強力な武装、強力なエンジンと巨大なプロペラによりその巨体に似合わないほど上昇力も良いとされ高々度での飛行性も良かったとされている。実際は枢軸側がそのような迎撃機が必要な高々度性能を持つ爆撃機を開発しなかったためB-17などの護衛機として使われ、それなならまだ高々度護衛機としての道もあったかもしれないが航続距離不足からP-51の登場で武器搭載量と撃たれ強い空冷エンジンの特性を活かした戦闘爆撃機として使われドイツ兵達から「ヤーボ」として恐れられた。

以上2機は迎撃機としてではないが成功した例であるがその他の例も見てみよう

エンジンを胴体中央に置いて延長軸でプロペラを回しついでにそこに大口径機関砲を装備した夢の単発戦闘機といえばP-39エアラコブラだ“「人」の「夢」と書いて「儚い」”とは言うがP-39の場合「儚い」と言うよりは「無残」もしくは「悲惨」と言うべきだろう。上記したようにエンジンを胴体中央に置けば重量バランスは良くなるし大口径機関砲をモーターカノンにすれば命中精度や反動問題も解決しやすくそこに排気タービンを装備した重武装の迎撃戦闘機となるはずだったが重量増加とNACAの指示で排気タービンエンジンに換装したら上昇力と高空性能が低下、しかも容易にスピン(きりもみ)に入る危なっかしい特性まであってパイロット曰く『フリスビーの祖先』だそうだ(たぶん水平きりもみになりやすかったんだろう)しかしそれにも関わらず当時はドイツの快進撃が続いていたため生産、輸出をしたが輸出元の英国はあまりの低性能っぷりにほとんどの受け取りを拒否(後に受け取った分もスピットファイアで代用された)しょうがないんでモーターカノンを20㎜機関砲に換装してP-400として極東、つまりは植民地部隊に送ったわけだが低空でしか能のないP-38は日本軍のもっと低空性能のすごい零戦やら隼やらに喰われて(従来言われるほどで酷くはないが)惨敗を喫してしまった。機首の大口径機関砲も爆撃機ならまだしも戦闘機相手では発射速度やら初速やらでほとんど当たらず役にはたたかった。せめてもの救いなのかレンドリースされたソ連では意外と好評だったが東部戦線には零戦やら隼がいなかったのと地上攻撃には大口径機関砲が役立ったこと、飛行特性は「これが操縦できればなんでも扱える」といわれたI-16や低性能戦闘機とも言われたLaGG戦闘機に乗っていたからロシア人的ニュアンスで許容範囲だったのかもしれない

実はP-38を作ったベル社はP-38の前にも37㎜機関砲を搭載した双発迎撃機を作っていたのだがそれがP-38が霞んで見えるほどソーゼツなシロモノだった。プッシャー式(つまり後ろに向かってプロペラがついてる)双発戦闘機でしかも両方の排気タービン付きエンジンナセル前部に可動式37㎜機関砲(人力、銃主付き)装備されたゲテモノ戦闘機でその名もYFM-1エアラクーダ、どうも敵爆撃機を追尾してケツから大口径機関砲を叩き込んでやる腹積もりらしかったのだがエンジンが冷却不足、戦闘機動が出来ない、速度が遅い、オマケに価格が高いの4拍子そろった出来でもちろん採用とはならなかった。ちなみに小型爆弾を搭載できる爆弾槽を持っていたがこれは爆撃機編隊の上から落としてやるためのものだ。XF4U(コルセアの試作機)にも装備されていたので当時の米国航空業界の流行だったのかもしれない
ちなみこの「双発/単発戦闘機に37㎜機関砲を搭載して爆撃機の射程外からロングレンジを浴びせよう」アイデアはYFM-1の10年くらい前に英国空軍でCOW1.5ポンド37㎜自動砲を搭載した双発と単発の戦闘機が作られたものの結局(やっぱり)性能不足とかで失敗に終わっている
あとカーチスが作ったP-47の豪華版XP-62もいるがこいつは開発にえらく手間取った上にP-47より低性能で試作機1機が作られて飛ばないままスクラップにされたりしてる。

他にもXP-56とかXP-55みたいに航空業界の白骨街道に横たわるような機体もいるが結論として米軍の迎撃機として超一流だったのはP-47ぐらいだったようで、この後米軍が再び迎撃機開発に熱をいれるのはソ連の原爆実験成功まで待たなければいけない

続きはこちらから

2008/09/27
22:05
シェアファイア 6P

200809271934000.jpgいつもお世話になっているショップで五千円弱で購入しいたシェアファイア6Pフラッシュライトです。
持ち手部分の直径が1インチなのでこのサイズのマウントリングならばどこでも固定可能で目潰し効果の高い超スポット仕様になってます。尻部分のボタンを押している間だけ点等、離すと消灯しテール部分を締めれば常時点等となるので基本軍隊や警察の使う“逆手持ち”で握ります。
手のひらサイズなのでライフルよりもP90などサブマシンガンに付けた方が似合います(笑)

フラッシュライトとは主に軍、警察用の耐久度と相手に照射して目潰し効果も期待できるほどの光量の高いライトでそのフラッシュライト業界最大手と言えるのが米シェアファイア社だ。警察や特殊部隊の装備と言うイメージが強かったが近年では“テロとの戦い”により市街地や室内戦が増えているため使用機会は増えていると言う。
蛇足:フラッシュライトと拳銃
最近ではハンドガンにも20㎜レールが装備されフラッシュライトなどが装備できるようになっているが付けるには専用のフラッシュライトや(通常の物では長すぎるので)さらに拡張用レールが必要になってしまう、そこで通常の棒型ライトを使った構え方があり1つはライトを持った腕に拳銃を持った腕を乗せる方法、これならば銃口とライトの方向が一致する上に射撃も安定する。もうひとつは拳銃を片手に持ってライトを持った手を出来るだけ身体から離す方法、これでは射撃が安定せずライトと拳銃を同時に別の手で構えることになる(これが結構難しい)ことになってしまうが敵は目立つライトに向かって攻撃する事が多いため被弾率を下げることが出来る