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2007/02/15 11:43 |
試作機の魔窟№.012 空技廠急降下爆撃機彗星 |
彗星は輝くことなく散りにけり
1930年代後半ってのはいろいろ飛行機が発展した時期でJu87とかドーントレスとか九九式艦爆とかみたいな急降下爆撃機にとっては黄金期だった。で、その後の時代になると一気に衰退したわけでドイツは後継機開発に失敗して米国のSB2Cはスカタンな性能でここに日本の彗星も入ってくるってわけだ。
日本だと十一試艦上爆撃機(九九式艦爆の試作型)は当時としては結構近代的な機体だったから失敗したときには艦爆家って呼ばれた愛知が提携していたハインケルのHe118をライセンス生産しようとしてて、そもそもHe118はJu87と開発競争したんだが速度は速かったものの肝心の急降下性能が悪くてテスト飛行で急降下してみたらプロペラが逆回転してしかもその後ギアボックごと吹っ飛んで操縦不能で墜落したような不出来な機体だったのと九九式艦爆が見事に成功して生産計画は見送られた。でも速度は速かったし機首周りの処理とかが洗練されてて(ぱっと見、埼玉県で作ったフェアリー・バトルみたいなんだが)どうもそれに感動したらしくて空技廠で一応九九式艦爆の後継機ってことで作ることにした。なんで一応かって言うと当時最新の機構とか設計を盛り込んだ実験機も兼ねてて、生産性とか整備性は犠牲になるけどそもそも艦載機なんて機種は配備が限定されるから大量生産はありえないし空母部隊なら整備とかも大丈夫だろうって計算だった、太平洋戦争が始まらなければ。
それで試作1号機は昭和15年末に完成して最高速度が551キロ、航続距離が3889キロの零戦一一型よりも高性能で当時存在するいかなる急降下爆撃機、つうか第二次大戦中に実用化かれた急降下爆撃機の中でも一番高性能だった。まあそれはよかったんだがやっぱり性能追求しすぎたせいで発動機と機体の両方で故障とかが続発、しかも愛知に生産させようとしたら「複雑すぎるっ!」と拒否されて再設計をしていると海軍が試作機を艦上偵察機にして空母蒼龍に載せてミッドウェー海戦で沈めるはずの空母から発進された艦載機(SBDドーントレス)に空母ごと沈められてその影響で開発はさらに遅延するってなまさに踏んだり蹴ったり沈められたりな状況だった。それから二式艦上偵察機にしたりとかいろいろあって昭和18年終わりによ~やく制式採用されたんだがここでも機構の不具合とかが多発、しかも搭載されてる熱田発動機が同じDB601Aを国産化したハ40と違って冷却水に水を使った水冷発動機で稼働率も最悪で、言われた言葉が「繊細複雑にして実用機にあらず」、よっぽど酷かったようだ。それの半年後に起きたマリアナ沖海戦だと81機が参加したもののほとんどがF6FとVT信管付き高射砲(高角砲)に喰われて最後まで残った機体はわずか6機、もう涙も出ないような結果だった。
その後の日本軍はぎゃーすかやりながら押しまくられて彗星も発動機をパワーアップしたり夜戦型にしたり空冷にしたりしても硫黄島沖で護衛空母ビスマーク・シーを撃沈した以外は特に戦果も出せずに事実上特攻仕様の四三型が作られて終戦したわけなんだが、いやはやもう哀れとした言いようが無いな
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