| 2026/03/27 11:25 |
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| 2006/12/23 01:48 |
試作機の魔窟№.005 |
三菱十四試局地戦闘機
こりゃ(ホントに)酷い
思えばキー64とか三菱十二試陸上攻撃機改とか完っ全に参考元(パクリ元とも)の「世界の駄っ作機」の劣化コピーみたいな内容になってきたから今回は有名どころ雷電の試作型十四試局地戦闘機を
日華事変の時日本軍はソ連のSB爆撃機(エスベー)の空襲に苦しめられてて、なんでかって言うとエスベーの最高速度が450キロ、九六式戦(四号)が455キロで九七式戦はもうチョイ早くて460キロだから爆撃されてから迎撃しても追いつけないのだ。それで海軍は加速と最高速度重視の局地戦闘機を作らせたのだが作らせた相手が悪かった。よりによって三菱の堀越技師のチームのやらせたのだ。「なにがマズイ?」と思うかもしれないがこの時期はちょうど零戦が完成した時期で海軍からの支離滅裂な要求にようやく答えて「終わったー」ってな具合で手放しで喜んでたら今度はこんなのをやらされるんだから哀れとしか言いようが無い
そんな感じで開発を始めてみたら零戦のせいでコンディションは最悪、堀越氏を始めに関係者が過労でバタバタ倒れて行くってなグダグダ具合で開発は全然進まなくて(この辺の影響が零戦三二型の角型翼に出てる、これは堀越氏の病欠で一式陸攻の本庄技師がやって堀越氏はこの角型翼が嫌いだったとか)ようやく試作1号機が完成したのが昭和17年2月、機体形状は大型発動機を積みつつ抵抗を減らしたいから空技廠にお勧めされた紡錘型(葉巻型)にして胴体に発動機を収めてプロペラは延長軸で回すことに、それで冷却不足にならないように強制吸入ファンも付けて操縦席は抵抗の少ないファストバック、風防はなめらかな曲線で仕上げて(なぜかこの風防の前部はMe163のV1の風防に似てる、他人の空似か?)それで海軍でテストしたら操縦性も安定性も良かったけど最高速度が足りないしキャノピーの背が低い上に風防が曲面だから前が歪んで(戦闘機としては致命傷)前がよく見えないから着陸時の三点姿勢じゃ前方視界が“無”に等しいとかの欠点が出てきて海軍から風防とキャノピーを枠の多い大型への交換、プロペラを電動3翅から信頼性の高い4翅に変更、フラップの大型化、発動機を水・エタノール式のへ換装、強制吸入ファンを増速式に変更とかって言われてやったらこれが大アタリして発動機はうまく作動しなくて黒煙ばったか吐くしプロペラ剛性が足りなくて振動が発生、しかもそれがエンジンにも共鳴するもんだからなかなか原因が分からなくてようやく完成したのがガダルカナルなんかからとっくに撤退していろんな島で日本兵が玉砕しまくってるころで上昇速度は速かったけど着陸速度が速くて視界も悪くてパイロットなんか即席のヒヨッコばっかだから殺人飛行機(B-26マローダに有らず)とまで呼ばれて「こんなダメダメなのいるか!紫電作れ紫電!」って海軍に言われて(実話)雷電の生産は終了、でも紫電も紫電改も上昇速度が悪かったから「いや、やっぱもう一回生産!あとターボチャージャーも付けて!」とかトンチキなことをやってる間に終戦。しかもとどめが二発あって1発目がこれのせいで烈風の製作も遅れた。2発目は一式陸攻みたな葉巻型は抵抗が少なくて戦後の原子力潜水艦でも使われたけど実は雷電に関しては鍾馗みたいな頭でっかちのほうが結果的に抵抗が少ない、多分これは空技廠がいろんなモデルで空洞試験をしたんだろうけど単発機だとコクピット部分がエンジン部分より大きくなるから余計に抵抗が増えるという最後までグダグダな機体だった。
| 2006/12/18 23:26 |
対戦車戦闘とは何ぞや?~後編~ |
中篇でほんの少し触れたカタログデータにない部分ってなんだって話をすると昔のソ連にT-34があって今まで無骨な鉄の箱みたいだった戦車の設計・デザインを一新させて、具体的に言うと砲は強力で幅の広い履帯で悪路の走破性がよくてディーゼルエンジンは燃費がいいから航続距離も長かった。それでドイツもこの戦車の登場にビックリして有名なパンター戦車を作ったのだが実はいろんな面でパンターの方が劣ってた。でもパンターの方がT-34をバタバタと倒すのだ。なぜか?乗員の練度もあるがT-34は乗員が4名で車長(砲撃とか進行方向とかの指示を出す人、船で言えば船長)が砲手を兼用してるから周りが見れないし見ようにもハッチがデカ過ぎて危ない上にハッチは前(つまり主砲のある方向)に開くから前が見えない。さらに砲弾の大部分が床下にあって取り出すのが一苦労で小さい砲用に設計されたのにバカデカい戦車砲を積んだもんだから中はキツキツで無線機もなかった。よ~するに周りが見えなくて無線機も無いもんだから弾を撃ちつくして(おまけに準備期間無しだからまともに動かせすらしなかった)中でドタバタやってるうちに弱いはずの戦車に各個撃破されたという話だ。
じゃあ対戦車砲(速射砲でも野砲でも加農砲でも可)VS戦車はどうか?以外かもしれないが有利なのは対戦車砲の方だ。ドアノッカーとか日本の速射砲のせいで威力不足感が植えつけられてしまっているがクルスト戦とか沖縄戦の嘉数の戦いみたいにある程度の条件がそろえば優秀なタンクキラーと化すのだ。有利な条件って言うのはパックフロントのことでパックフロントは点々と拠点陣地を作ってその中に入ってきた戦車に集中砲火を浴びせる戦法、基本的に戦車対対戦車砲の場合は待ち伏せできて背が低くて見つけにくい対戦車砲が有利で撃たれるまで気付かないし先に気付いても背が低いからピンポイント射撃が求められる難しい相手なのだよ。
あとソ連が対戦車用に使ったものとして地雷犬・・・・ではなく対戦車銃(ライフル)があってこれはドイツが戦車の装甲を貫通できなくて途中で捨てたのに対して「弱い部分を狙えば・・・」ということでソ連はしぶとく使い続けたモンでもしかしたらドイツみたいに成形炸薬とかが無かったとかが裏にあるかも。それで『戦車の弱点ってどこよ』って話をするとまずは履帯と起動輪、このどっちかをやられると戦車はじゃれた犬みたいにくるくる回ることになるからだ。次は操縦席の覗き窓とかガンサイト、覗き窓には一応防弾ガラスがはめてあるけど所詮はガラスだから対戦車銃の近距離射撃じゃぶち抜かれる(ティガーだと操縦席に予備の防弾ガラスがある、コレを見た操縦主はアンタンとした気分になるんじゃないか?)から覗き窓はペリスコープにしたりティガーだと可動式シャッターが付いたりしてる。ガンサイトはも装甲が薄かったりする理由からでタミヤの35分の1を作ったことのある人なら分かるだろうがティガーの砲塔にはヤギの目みたいな覗き窓つきのフタが付いてるけどあれはあそのこに防弾ガラスがはまってたけど対戦車銃で狙われまくったからはめたんだって、ちなみに履帯と起動輪の防御にはシェンシェルっていうスカートみたいに車体から付ける厚さ5ミリくらいの防弾版があって後でバズーカとかの成形炸薬にも効果があるって分かったから金網の簡易型もできた。あと戦車は基本的に正面よりも側面とか背面の装甲が薄いけど下と上の装甲はもっと薄い、これはほかに比べて砲撃される危険性がほとんどないからで現に下面を狙った対戦車地雷とか上面を狙った対戦車攻撃機とかガンシップにはめっぽう弱いししこれを狙った対戦車砲の戦闘もある。それは砲陣地の前に小高い丘を作って戦車がそれを乗り越えるとときは下面、降りる時には上面装甲がさらされるという計算だ。
完
| 2006/12/18 00:10 |
対戦車戦闘とは何ぞや?~中編~ |
「あの約二ヶ月前の記事が前編だったんのか?」などというツッコミは置いといて対戦車戦闘の話第二弾『対戦車戦闘とは何ぞや?~中編~』はじまりはじまり~
まず戦車VS戦車の場合の話をしよう。戦車の強さは普通「砲の威力」「速度」「装甲」の攻走守(信頼性とか使いやすさとかカタログデータにない部分もあるけど)で表されるんだけど映画みたいに真正面からバカスカ撃ち合うなんてことはなくて大抵は物陰とか丘を利用した稜線射撃とかダッグインとかでこそこそ撃ち合うものなのだ。たぶん多くの人は『稜線射撃?ダッグイン?』となると思うので説明すると稜線射撃は丘を盾にしながら砲塔だけを出して攻撃する戦法で被弾面積を減らしつつ見つかりにくくも出来るのだが基本的に戦車は車高が低いから(砲尾が天井につかえて)俯角、つまり主砲を下に向けるのが苦手だし旋回させると上を向いちゃうから意外と難しかったりする。あと世界で(多分)一番稜線射撃が得意な戦車は自A隊の74式戦車、油気圧式で前後左右に姿勢制御(90式はもともと起伏の少ない北海道の運用が前提だから前後だけにされた)できてどんな地形でも対応可能な待ち伏せ攻撃の専門家・・・・とは言ってみたけど実際は砲弾の発達で防御が低すぎて待ち伏せ以外では使えないともいえる。それでダッグインは戦車の車体が入るぐらいの溝(壕)を掘って砲塔だけ出す方法で効果は稜線射撃と同じだけど精度はこっちが上じゃないかな?硫黄島だと戦車が送られたけど地形が酷すぎて使えないからバラして砲塔だけ使ったりダッグインで使ったりしたんだとさ
後編へつづく
| 2006/12/16 02:58 |
試作機の魔窟№.004 |
川崎試作高速戦闘機キー64
三兎を追うものは燃え上がる・・・
ある人は問う「一番手っ取り早くエンジンの馬力を上げるにはどうすればいい?」ある人は言う「だったら2つのエンジンを繋げて1つのエンジンにすればいい」、そんなわけで実際にやってみた代表例がHe119で空気抵抗を減らすのと胴体に発動機が入ってて延長軸でプロペラを回してるせいで機首をガラス張りのビニールハウスみたいにしてなんとか視界を確保しようとしたけど結局ダメだったみたいで試作止まりになった。
でだ、九五式戦とか作ってたころの川崎でも同じような串刺型発動機を作ろうとしたけど使う発動機(ちなみに液冷、空冷だと奥が冷えにくくなる)の構造的から“不可”だったからあきらめてたらドイツからDB601のライセンス獲得の話が出てきてたからこれの国産型(ハ40)で念願の串刺型発動機を作ろうって話になった。ただ串刺型発動機の最大の問題は全長が長すぎて前方視界不良になることで、普通にやれば飛燕の機首×2なんて恐ろしくて想像できないことになる。ここでキー64の設計をした土井技師がまた頭のいい人で(土井技師の頭がいい話はキー88あたりでまたするかも)発動機を機首と操縦席の後ろに積んでこれを延長軸で繋いだのだ。こうすれば視界を確保できるし狙ったかどうかは知らないけど重量のバランスも均等になってい一石二鳥というわけだ。こうして生まれたのが日本最初で最後の2000馬力級発動機ハ201、こうして日本は形はどうあれ念願の大馬力発動機を手に入れたのだが2000馬力級を手に入れたのがよっぽどうれしかったのか力みかえったのかさらにすごいものを付けた。しかも2個、表面冷却器と二重反転プロペラだ。二重反転プロペラはともかく表面冷却器は多くの人が「なんじゃそりゃ?」と首を傾げつつ腕まで組むと思うので説明すると今までの角ばって邪魔な箱型ラジエーターじゃなくて主翼自体をラジエーターにして空気抵抗を少なくしようということだ。たぶん日本が輸入にたHe100に付いてたのを参考にしたんだろう。こうしてキー64は串刺型発動機プラス二重反転プロペラプラス表面冷却器といういままで成功した前例のないものの見本市みたいな機体になって作ってるうちに一つ目の問題が発覚した。当時の日本には二重反転プロペラに対応した可変ピッチがなかったのだ。最初は輸入しようとしたけど間に合わなくて仕方なく試験飛行の時は前が固定、後がハミルトンっていうありえねー組み合わせに、当然前が固定だからピッチなんか合わなくて一歩間違えればペラ同士が衝突して空中で砕け散るなんてことになるんだからパイロットは相当恐かっただろうな。で2個目、ラジエーターの面積が狭くなったから当然冷却水に掛かる圧力とか熱量とかが増えて飛行中にエンジンが発火、炎上した。幸い大事にはならなかったけどハ201の元になったハ40の性能向上型のハ140(ややこしいな)の改修とかで忘れられてそのまま終戦まで放置プレイされたとさ。最後にまとめると発想は良かったけど埋め込みすぎて飛ばしてみたらボロが出たって感じか?
| 2006/12/15 18:02 |
プラモのすゝめ改~一式戦闘機二型~ |
第八目プラモのすゝめ改は満州国軍航飛行の一式戦闘機二型(ファインモールド)
この角度だと見えないけどちゃんと主翼には五色旗の国籍標識が書かれていて、プラモ本体の解説は・・・・・正直忘れたな・・・・、ただ胴体と主翼のかみ合わせがえらく悪かったのだけは覚えてる(ほら、モノクロのほうをよく見ると隙間が)
ちなみに右のモノグラム・・・じゃなくてモノクロ風画像はピクシアでそれっぽく加工したやつ、ちょっといじっただけでもわりとそれらしくなるものだ。
ここからは実機の話よん
満州国軍飛行隊の主力は九七式戦で終戦までそうだったらしい、満州は終戦間際にソ連が裏切って奪い放題やり放題しに来るまで空襲もなかったからそれで十分と判断されたんだろう。ただし満州本国での戦闘はなかったけど中国大陸の基地からB-29が飛び始めると迎撃することになったんだが主力の九七式戦で7.7ミリ×2一式戦でも12.7ミリ×2、さらにB-29の最高速度が576キロで対する一式戦は二型で500キロを切る程度で九七式戦なんかたったの460キロで攻撃の心配の前に捕捉の心配をせにゃならんど、どうする・・・・・
それでわずかな会敵も無駄ににしないため体当たり攻撃がされて昭和19年の12月7日の第一次奉天防空戦で約70機のB-29のうち14機撃墜、1機を撃破して6機が体当たりをして5人が戦死、この体当たり機には九七式戦も含まれてるからパイロットの技量と度量は相当高かったんだな~