2025/05/06 22:02 |
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2007/02/18 23:47 |
ミリタリークイズ第二弾 |
初級 まあ大抵のひとならわかりますレベル
第1問:1943年のムッソリーニ救出でムッソリーニをグランサッソ山麓から脱出させるのに使った飛行機はなに?
1.Fa61 2.Bf108タイフーン 3.Fi156シュトルヒ
第2問:史上初めて米国本土を爆撃した航空機はなに?
1.Ar196 2.二式飛行艇 3.零式小型偵察機
第3問:「ほうきの柄」と呼ばれた銃はなに?
1.ボーチャド 2.モシン・ナガン 3.モーゼル・ミリタリー
中級 普通レベルな問題です
第4問:日本海軍が初めて導入した水上機のメーカーはなに
1.モーリス・ファルマン 2.カーチス 3.中島
第5問:明治38年5月27日バルチック艦隊発見を初めて報じた艦はなに?
1.香港丸 2.信濃丸 3.日本丸
第6問:シェルツェンが装備された理由はなに?
1.対戦車銃の弾除け 2.バズーカ等の成形炸薬対策 3.泥除け
上級 比較的ムズイ
第7問:この中で超信地旋回ができるのは?
1.61式戦車 2.ティガー 3.両方ともできない
第8問:世界で最後のレシプロ機対レシプロ機の戦争は?
1.100時間戦争 2.サッカー戦争 3.太平洋戦争(南米)
第9問:日本陸軍が初めて撃墜した英国軍機はなに?
1.ブレニム 2.DB-7C(ハボックの輸出仕様) 3.カタリナ飛行艇
特級 責任者出て来いレベル
第10問:この中で海軍用機を作ったことがあるのはどこのメーカー
1.立川 2.川崎 3.満州飛行機
第11問:伊400号潜水艦が上げた戦果とはなに?
1.敵艦載機の撃墜 2.漂流していたパイロットの救出 3.敵商船の撃沈
第12問:日本陸軍が米軍のジープを参考にして完成させたのはどれ?
1.五式四起 2.ダイハツ軽四起 3.四式小型貨物車
答えは下、反転させてちょ
第1問:1943年のムッソリーニ救出でムッソリーニをグランサッソ山麓から脱出させるのに使った飛行機はなに?
3.Fi156シュトルヒ
ちなみにこの作戦の指揮官はあのオットー・スコルツェニー
第2問:史上初めて米国本土を爆撃した航空機はなに?
3.零式小型偵察機
二式大艇が爆撃したのは真珠湾です
第3問:「ほうきの柄」と呼ばれた銃はなに?
3.モーゼル・ミリタリー
グリップの形が由来
第4問:日本海軍が初めて導入した水上機のメーカーはなに
1.モーリス・ファルマン
WWⅠの時は青島攻略戦に参加してドイツ側のルンプラー・タウベと交戦している
第5問:明治38年5月27日バルチック艦隊発見を初めて報じた艦はなに?
2.信濃丸
香港丸と日本丸は索敵のためにジャワ方面に配備されていた
第6問:シェルツェンが装備された理由はなに?
1.対戦車銃の弾除け
成形炸薬への効果は後でわかった
第7問:この中で超信地旋回ができるのは?
2.ティガー
構造的には可能だったそうです。詳しくはタミヤの16分の1ラジコン戦車のページを
第8問:世界で最後のレシプロ機対レシプロ機の戦争は?
1.100時間戦争 2.サッカー戦争
100時間戦争はサッカー戦争の別名、F4UコルセアやP-51マスタングが参加
第9問:日本陸軍が初めて撃墜した英国軍機はなに?
3.カタリナ飛行艇
開戦2日前に陸軍の輸送船団と護衛の連合艦隊南遣艦隊を発見したカタリナを九七式戦が撃墜している
第10問:この中で海軍用機を作ったことがあるのはどこのメーカー
2.川崎
義勇財団「海防義会」の献金を受けて作った艦上偵察機と第三義勇号飛行艇を作っている
第11問:伊400号潜水艦が上げた戦果とはなに?
1.敵艦載機の撃墜
呉で大和と共に乾ドック入りしていた伊400が米空母艦載機に対して対空戦闘を行い撃墜している
第12問:日本陸軍が米軍のジープを参考にして完成させたのはどれ?
3.四式小型貨物車
試作型ではジープと同じくライトは2個あったけど生産型では1つに減らされてる・・・
2007/02/16 04:20 |
ミリタリークイズ |
なんの前触れもなく始まったクイズ、好評なら続けようかと
初級 まあ大抵のひとならわかります
第1問:零式艦上戦闘機の「零」ってなにからきてるの?
1.西暦 2.皇紀 3.採用した順番
第2問:真珠湾攻撃の時に不在で壊滅を逃れたのは?
1.爆撃機隊 2.戦艦部隊 3.空母機動部隊
第3問:世界最強と言われたティガー戦車がその大重量ゆえにそなえた装備とは?
1.潜水装置 2.操縦席のペリスコープ 3.空気清浄機
中級 普通レベルな問題です
第4問:零式艦上戦闘機五二型の読みは
1.れいしきかんじょうせんとうきごじゅうにがた 2.ぜろしきかんじょうせんとうきごじゅうにがた
3.れいしきかんじょうせんとうきごーにーがた
第5問:ワシントン条約によって巡洋艦から空母にされた赤城のネームシップ(一番艦)はどれ?
1.水城 2.葛城 3.天城
第6問:ビスマルク追撃戦で1発の命中弾で轟沈してしまった英巡洋艦は?
1.ハウ 2.ディド 3.フッド
上級 比較的ムズイ
第7問:真珠湾攻撃の日本側の呼称はなに?
1.ハワイ航空戦 2.真珠湾侵攻戦 3.ハワイ海戦
第8問:0系新幹線設計の参考にしたと言われる航空機はなに?
1.一式陸上攻撃機 2.陸上爆撃機銀河 3.一〇〇式重爆撃機
第9問:作戦行動中に航空攻撃で撃沈された戦艦は大和、武蔵、プリンス・オブ・ウェールズとあとはなに?
1.ローマ 2.ジャン・バール 3.ティルピッツ
特級 責任者出て来いレベル
第10問:一〇〇式司令部偵察機三型の問題点はなに?
1.光が乱反射して前が見にくい 2.風防にヒビが入る 3.速度が速すぎてアンテナ支柱が折れる
第11問:パンター戦車の装備で実戦で使用されたのはどれ?
1.赤外線暗視装置 2.空気清浄機 3.ステレオスコープ
第12問:この飛行機なに?
2.ヴィッカーズF4/40
3.ウェストランドF4/41
答えは下、反転させてちょ
第1問:零式艦上戦闘機の「零」ってなにからきてるの?
2.皇紀
これはまあ常識ですね、ちなみに1940年が皇紀2600年でした
第2問:真珠湾攻撃の時に不在で壊滅を逃れたのは?
3.空母機動部隊
これも有名、戦艦と爆撃機は壊滅された・・・
第3問:世界最強と言われたティガー戦車がその大重量ゆえにそなえた装備とは?
1.潜水装置
操縦席のペリスコープは計画だけ、空気清浄機はパンターです
第4問:零式艦上戦闘機五二型の読みは
2.れいしきかんじょうせんとうきごーにーがた
零戦の読みはゼロセンでもレイセンでも可
第5問:ワシントン条約によって巡洋艦から空母にされた赤城のネームシップ(一番艦)はどれ?
3.天城
関東大震災で竜骨(キール)を破損して解体処分、代わりに加賀が空母にされた
第6問:ビスマルク追撃戦で1発の命中弾で轟沈してしまった英巡洋艦は?
3.フッド
ハウは建艦中止された三番艦、デッドは防空軽巡洋艦
第7問:真珠湾攻撃の日本側の呼称はなに?
3.ハワイ海戦
航空戦と迷った人がいたかもしれませんが正式名称は海戦
第8問:0系新幹線設計の参考にしたと言われる航空機はなに?
2.陸上爆撃機銀河
桜花、銀河の設計をした三木忠直氏が戦後鉄道総合技術研究所で銀河の設計を参考にして新幹線の設計をした
第9問:作戦行動中に航空攻撃で撃沈された戦艦は大和、武蔵、プリンス・オブ・ウェールズとあとはなに?
1.ローマ
ジャン・バールはフランス海軍の戦艦で戦後まで生き残ってティルピッツは停泊中にランカスターの爆撃で沈められた。ローマは連合軍に投降する途中でドイツ軍のフリッツXの攻撃で轟沈
第10問:一〇〇式司令部偵察機三型の問題点はなに?
全部、アンテナ支柱は一、二型でも折れたらしい
第11問:パンター戦車の装備で実戦で使用されたのはどれ?
1.赤外線暗視装置
空気清浄機は計画のみでステレオスコープはF型に装備されたけど実戦では使われず
第12問:この飛行機なに?
2.ヴィッカーズF4/40
F4/41はウェルキンスの計画名、ヴィッカーズF4/40は1機だけ作られて実験とかに使われた
2007/02/15 11:43 |
試作機の魔窟№.012 空技廠急降下爆撃機彗星 |
彗星は輝くことなく散りにけり
1930年代後半ってのはいろいろ飛行機が発展した時期でJu87とかドーントレスとか九九式艦爆とかみたいな急降下爆撃機にとっては黄金期だった。で、その後の時代になると一気に衰退したわけでドイツは後継機開発に失敗して米国のSB2Cはスカタンな性能でここに日本の彗星も入ってくるってわけだ。
日本だと十一試艦上爆撃機(九九式艦爆の試作型)は当時としては結構近代的な機体だったから失敗したときには艦爆家って呼ばれた愛知が提携していたハインケルのHe118をライセンス生産しようとしてて、そもそもHe118はJu87と開発競争したんだが速度は速かったものの肝心の急降下性能が悪くてテスト飛行で急降下してみたらプロペラが逆回転してしかもその後ギアボックごと吹っ飛んで操縦不能で墜落したような不出来な機体だったのと九九式艦爆が見事に成功して生産計画は見送られた。でも速度は速かったし機首周りの処理とかが洗練されてて(ぱっと見、埼玉県で作ったフェアリー・バトルみたいなんだが)どうもそれに感動したらしくて空技廠で一応九九式艦爆の後継機ってことで作ることにした。なんで一応かって言うと当時最新の機構とか設計を盛り込んだ実験機も兼ねてて、生産性とか整備性は犠牲になるけどそもそも艦載機なんて機種は配備が限定されるから大量生産はありえないし空母部隊なら整備とかも大丈夫だろうって計算だった、太平洋戦争が始まらなければ。
それで試作1号機は昭和15年末に完成して最高速度が551キロ、航続距離が3889キロの零戦一一型よりも高性能で当時存在するいかなる急降下爆撃機、つうか第二次大戦中に実用化かれた急降下爆撃機の中でも一番高性能だった。まあそれはよかったんだがやっぱり性能追求しすぎたせいで発動機と機体の両方で故障とかが続発、しかも愛知に生産させようとしたら「複雑すぎるっ!」と拒否されて再設計をしていると海軍が試作機を艦上偵察機にして空母蒼龍に載せてミッドウェー海戦で沈めるはずの空母から発進された艦載機(SBDドーントレス)に空母ごと沈められてその影響で開発はさらに遅延するってなまさに踏んだり蹴ったり沈められたりな状況だった。それから二式艦上偵察機にしたりとかいろいろあって昭和18年終わりによ~やく制式採用されたんだがここでも機構の不具合とかが多発、しかも搭載されてる熱田発動機が同じDB601Aを国産化したハ40と違って冷却水に水を使った水冷発動機で稼働率も最悪で、言われた言葉が「繊細複雑にして実用機にあらず」、よっぽど酷かったようだ。それの半年後に起きたマリアナ沖海戦だと81機が参加したもののほとんどがF6FとVT信管付き高射砲(高角砲)に喰われて最後まで残った機体はわずか6機、もう涙も出ないような結果だった。
その後の日本軍はぎゃーすかやりながら押しまくられて彗星も発動機をパワーアップしたり夜戦型にしたり空冷にしたりしても硫黄島沖で護衛空母ビスマーク・シーを撃沈した以外は特に戦果も出せずに事実上特攻仕様の四三型が作られて終戦したわけなんだが、いやはやもう哀れとした言いようが無いな
2007/02/13 23:34 |
プラモのすゝめ改 番外編雷電其ノ弐ノ巻 |
ちなみにずいぶん前に紹介したけど同じ雷電二一型を作ったことがあってそのときはデカール張りに失敗したとかつまらないミスが多かったから直すために作り直し、ちなみにハセの雷電は秘儀重ね塗りを発見した思い出の機体で今回はプロペラもそれにして機体にも若干退色風にした。
2007/02/09 17:51 |
試作機の魔窟№.011 ノースアメリカンNA-73 |
マスタングは低空から現れ低空に帰す
NA-73なんて言っても大概の人には伝わらないだろうから分かりやすく言えばP‐51マスタング(ムスタングか?)の米英両方向けの原型機だ。英国ではドイツがいきなり戦争始めてしかもありえねー速度で隣国を次々侵攻したおかげで気付いたときにはドイツ軍はドーバー海峡を挟んで目と鼻の先の距離にいた。しかもスピットはまだ数が揃ってなかったし補助とは言え一部戦線だとグラディエーターまで戦ってて新鋭Bf109に対抗できるような戦闘機が決定的に足らなかった。そこで戦争には参加してないけど味方な米国に使節団(P-38のときのあれだな)を送って比較的よさげなP-40を輸入しようとした。したのはいいんだけどP-40が米陸軍に配備されたのが40年中ごろで生産元のカーチスは米陸軍への納品でいっぱいいっぱいだったから当時中小メーカーだったノースアメリカンにライセンス生産させようとしたらノースアメリカンは「同じアリソンエンジンでP-40より高性能な戦闘機を作ってやる」と言った。そもそもP-40自体が前に作ったP-36ホークを発展させた言わばやっつけ仕事的なものだったから同じ年代の戦闘機と比べてもあんまパッとしない戦闘機であって戦闘機なんか作ったことなかったがどうもノースアメリカンには成功させる自信があったらしい、それで英国使節団も最初はかなり怪しがってたけど最終的には320機の発注を条件付で引き受けたんだと、それでその条件が1.120日以内に原型機を完成させる2.P-40の設計データを買って参考にすること3.P-40より(当然だが)高性能なこと、データと性能はいいとして当時で普通に戦闘機を作るとしたら最低でも1年以上はかかるから開発期間120日はかなり短かった、きっと最初から作れるわけないと思った英国紳士らしい陰湿ないじめだろう、でもノースアメリカンは作ってしまった。しかもラジエーターを胴体下に付けるとか層流翼を使うとかして話は前後するもののスピットファイアの低空型よりも高性能だったし航続距離もかなり長くてそれで試作1号機は燃料コックの切り替えミスで墜落しちゃったものの性能は良かったから英国は防弾とかを強化したNA-83をもう300機追加したりした、ちなみに米はどうしたかというと一応興味はあったらしくて2機をXP-51アパッチの名前で受け取ったものの適当に調べた後は倉庫に押し込まれていた。それと、最初から完璧だったわけじゃなくてそもそも積んでるアリソンエンジンが高々度で弱い上に機体重量が重かったから上昇速度と上昇限度が悪くて高空だとまったく使えなった、あと視界(特に後方視界)も劣悪でかなり酷評されていたそうだ。ただ、低空性能は卓越していたから低空でも問題ない対地攻撃機として(このへんタイフーンとかエアラコブラと同じだな)活躍して最初の空戦戦果としてFw190を撃墜したりしている。そのころ米国だと日本海軍に真珠湾(正確には真珠港らしい)とフィリピンを攻撃されて機動部隊を除く太平洋艦隊と航空戦力が壊滅、しかも当時の陸軍の主力戦闘機は性能の低いP-40と性能はいいけどコストの高いP-38だけだったからかなりあせっていろんな会社に戦闘機を作らしたりしているうちにちょっと前に適当にテストしてしまいっぱなしにしていたXP-51を思い出したようでこれを引っ張り出してテストしてたところかなりの高性能でこれにビックリした米陸軍は生産中のマスタングMk.ⅠA(英国用)を自軍用にぶん取ってして急降下爆撃機型も発注している、前のテストはよっぽど適当だったんだろうか
それから米軍のP-51は北アフリカ戦線でデビューしてエンジンをアリソンから英国のマリーンに換装してから劇的に性能が上がって米国でもライセンス生産をして、癖が強くて航続距離の足りないP-47に変って爆撃機の護衛戦闘機としても活躍したのはご存知の通りだろう、ただしP-51は元々高々度迎撃機のP-47と違ってターボチャージャーを積んでいなかったから高々度を飛行できなくて護衛される爆撃機もそれに合わせて飛んでいて、つまり逆にいうとP-47が低空で対地攻撃をするのもまた間違っているということなんだろうか?それで50年に起こった朝鮮戦争では本当はP-47を使いたかったそうなんだがあんなに作った(1万5683機)はずなのに残ってなくて仕方なく搭載量が少なくて液冷で被弾にも弱かったもののP-51が対地攻撃機として使われたんだそうだ。ちなみにP-51がはじめて極東戦線(いわゆる太平洋戦線ね)に配備されたのが昭和18年11月のビルマで、ミンガラドン基地に展開していた陸軍の飛行六十四戦隊の一式戦と初交戦したものの7機中3機が撃墜されてしかもこの地方に進出したばかりの第311戦闘爆撃航空郡司令のハリー・ミルトン大佐が捕虜にされる大失態を犯したとか