2025/05/06 16:56 |
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2007/03/14 02:17 |
ショットガンの話~ |
形はいろいろあるけどそもそもショットガンは散弾を発射するのに適した銃で、一番の特徴は銃身に彫られた溝、つまりライフリングが普通無いこと、日本語にすれば普通のライフリングのある銃が旋条銃、ショットガンは滑腔銃となのかな。まあそれはどうでもいいんだけど本来ショットガンの使用目的は鳥や鹿を撃つ狩猟用、重いし射程も短いしで対人、特に戦場での使用はあまり有効とは考えられていなかった、と言うかそんなことを考える人はいなかった。しかし20世紀最初の悪夢第一次大戦になると戦争の様子が一遍して複雑な塹壕と凶悪無比な機関銃のおかげで攻撃側の突破力より守り手の防御力の方が高くなって騎兵隊にしろ歩兵にしろ両方とも(被害がすごすぎて)手が出せなくなって膠着状態になることになった。とまあここまで書いてなんなんだが実は機関銃も塹壕もWWⅠでパッと出てきたわけではなく機関銃は日露戦争でも猛威を振るってたし塹壕なんかは南北戦争でも出現していた、つまりこのWWⅠでは規模が違いすぎたってこと。それでまあその塹壕と機関銃のおかげで陸の王者戦車が誕生したワケなんだけど戦車が現れるまでが大変、なんにせ複雑な塹壕のせいで砲撃はほとんど効果がないし当時の飛行機の爆撃性能なんかちっこい爆弾を手で投げて相手をびびらせる程度、飛行船なんてのは遅いし無駄に大きいから的にされるだけで後は敵の塹壕下までトンネルを掘って爆破するとか毒ガスで銃座を黙らせてる間に突入するとかだった。
それでなんとか敵の塹壕内に辿りつくんだけどここからが大問題、なにせ当時の歩兵の主力装備はライフルで三八式とかGew98みたいに銃身がとんでもなく長かった。じつはこれも塹壕戦だと必然的に相手との距離が離れていたけど第二次大戦になると機動戦の時代になって距離が縮まるから銃身も縮まったんだろう。それで長距離ならいざ知らず、狭いし敵との距離がものすごく近い塹壕内だと長さがアダになって取り扱いにくい上にボルトアクションライフルはリロードに時間がかかる一発必中の武器だから塹壕内みたいな狭い場所じゃ全然使い物にならなくて結局は銃剣とかスコップ使った白兵戦になって、じゃあ小さくて発射速度の早いハンドガンならどうかと言うと今度は小さすぎて命中率が悪いし殺傷性も低くて意外と使えなかったんだそうだ。それで投入されたのがサブマシンガンつまり短機関銃でドイツ語で言えばマシンピストーレ、殺傷性は拳銃かそれより劣る程度で射程も短いけど一気に何十発も連射できるし軽くて小さいから小回りも効くしで塹壕(内)戦ではうってつけの武器だった。で、今回の本題ショットガンもおんなじような理由で使われた。反動がすごいから連射はできないけど1発で大量の散弾をばら撒けるから近距離だとかなり有効、短機関銃が連射性を生かした線で攻撃するとしてショットガンは散弾を使った面、つまり2Dで攻撃する武器だった。それで第二次大戦だと日本兵のバンザイアタック対策、ベトナム戦争は濃いジャングでの近距離戦で使われた。ところがこの辺のショットガンはいずれもポンプアクション、つまり銃身下のもち手部分を“ジャキッ!”と動かして装填するモデルでしかもチューブマガジンを使っていたから装填にえらく時間がかかった。そこでフランスのフランキスパスがスパス12を作って作動はセミオートと手動が選べて口径もデカイかなり強力なショットガンだった。ただ、作動の切替機構が複雑なのと装填するには裏返さないといけないのが祟って軍用としてはほとんど採用されてない、それで改良型のスパス15を作ったんだがなぜか外見はM16みたいになってる、機関部なんかは前のスパス12とあまり変らないみたいなんだけど装填がマガジン式に改められてるのが特徴でポンプアクションもできる、これはジャムの時に使うというのもあるが実際は特殊部隊向けの装備だろう。たとえば建物に突入するときにスラッグ弾を使って次にゴム弾を使いたいとする、その場合最初にスラッグ弾を、後にゴム弾を装填すればいいんだがセミオートで撃つと弾によって弾薬量が違って発生するガス量も違うからジャムる場合もあるわけで、そう言う場合はポンプアクションをするというわけだ。あとマイナーなのでロシアのイズマッシュ製サイガ12なんてのもあってこっちはAKシリーズそっくり、どうもAK47をベースにしてて同じマガジンを使えて耐久性と信頼性も高くてSVDのスコープが使えて低下価格とかいたでり尽くせり、ついでに重量はスパスより軽かったりする。ちなみにオリジナルだとほとんどの国で違法的に銃身が短いから輸出用は銃身が長いそうだ。
2007/03/04 22:40 |
試作機の魔窟№.015 ブリストルブリテン・ファースト |
性能は微妙、踏み台としては一級?
英国人ってのはどうも一度いい物を作ると満足するのかめんどくさいのかその後続を作らなくなるようでソードフィッシュもそうだしミニなんか40年近く作ってたし30年代中盤に完成したブレンガンなんか90年の湾岸戦争まで使ってた。で、ブレンガンが完成したのと同じ頃、世界初の独立空軍で「世界一ィ~~~」なはずの英国空軍では複葉機を使っていた。30年代と言えばB-10とかDo17とか九五式陸攻みたいな単葉で引き込み脚が付いた爆撃機を現れ始めた頃で日本陸軍は固定脚だったがさすがに主翼は単葉で英国は完全に置いてけぼりを食らってた。でもそれに焦った形跡もあまり感じられなくこのまま行けばBf109VS複葉爆撃機みたいな時代錯誤過ぎる光景が(ソードフィッシュもそうなんだが・・・)展開される!・・・・はずだった。
新聞会社の社主のロザミア卿がブリストル社に自家用機ブリテン・ファーストを発注し、それが当時の主力戦闘機より80キロ近く速い高性能だった。と言っても当時の主力戦闘機は複葉のグラディエーターだからそんな威張れるほど速くはなかったんじゃないか?
それで便乗しようとしたのか実戦仕様にしたブレニムが作られたんだが速度はハリケーンとかスピットファイアとかBf109みたいな近代的な戦闘機が現れると鈍足な分類に、しかも当時双発戦闘機ブームがあったせいで血迷ったのか爆撃機兼戦闘機にしてしまって性能も爆撃機としても双発戦闘機としても微妙になって欧州だとBf109と高射砲にボコボコにされて極東だと飛び立つ間もなく破壊されたりして逸話と言えば加藤健夫中佐を撃墜した以外で特に思い当たらない、と言うかそれ作戦とかじゃないし
でもハリファックスとかランカスターみたいなちゃんとした爆撃機への繋ぎとしてはよく働いてくれた。めでたしめでたし・・・・とならないのが英国軍機、例の“一度いい物を作ると作り続ける”悪癖が出たのか自国の爆撃機ラインナップも充実して米国からもいろいろ貰ってるのに41年に発展型のブレニムⅤを就任させて本当に被害だけを出して退役してしまった。いったい何をしたかったのやら・・・・
2007/03/02 18:26 |
プラモのすゝめ改~雷電二一型~ |
作り方は特に変えずいつもと同じ素組みで、塗装は機体とペラを重ね塗りして両翼に六番爆弾を懸架させた。あと脚を半光沢の黒で塗ってアクセントにもした。
2007/02/23 03:37 |
試作機の魔窟№.014 ベルFLエアラボニータ |
航空機業界でベルといえばかのHU-1(イロコイ、ヒューイ)とかX-1、X-2を作ったベル・エアクラフトなのだが第二次大戦中はなにをしていたかというと一応戦闘機メーカーとして頑張っていたのだがそのほとんどの不出来で、まずXP‐77はエンジン振動を緩衝する装置が無いってな信じられない設計と予想した軽金属不足が起こらなかったおかげで不採用となり、P-59エアラコメットは米国初のジェット戦闘機だったけど性能はスカ、P-39エアラコブラはターブチャージャーが外されて性能がガタ落ちしたのに陸軍が生産を強行したせいで各方面から抗議されて劣等民族日本人対策用に極東に送ったところ低空でしか使えないエアラコブラは低空性能がもっとよかった零戦にカモ扱いされたし一番まともそうなP-63キングコブラは不出来なエアラコブラを設計し直したもので性能は大幅に上がったけど同じ時期に現れたP-47とかP-51に比べるといろんな面で劣ってた。まあエアラコブラとキングコブラはソ連で活躍してなんとか名誉挽回はできたそうなのだがソ連自体がそれを隠してたっていうから救いようが無い
それで本題のFLエアラボニータはエアラコブラと同時期に作られた海軍用艦載機、と言うか海軍版エアラコブラで本来艦載機には信頼性と耐久性の高い空冷機が使われるんだがどうも「後方レイアウトエンジンはいい」とかだまくらかして試作したらしいく、武装のレイアウトもエアラコブラと大差なかったんだがエアラコブラの見所のひとつである前輪式着陸装置は普通の尾輪式にされてる。たぶんあのままだとワイヤを掴んだときに尻餅ついて甲板を壊しそうだからだろう、あとキャノピーと主翼も違うそうなのだがキャピーが写真だと多少盛り上がってる以外はよくわからん
それで40年5月に初飛行したもののエンジン周りの問題で41年初めに海軍に納入されたものの安定性が悪いといか重量が増えたとかで不採用、ちなみにエアラコブラの配備も41年初めだからこのときの噂を聞いて通販でくだらないものを掴まされたみたいな気分でがっくしきてたのかもしてない、まあ短い説明だが資料がほとんど見つからないのでたしかたない
それでベル社が量産した固定翼機は性能的にはダメダメで、会社の存続が危機的状況に陥ってた時期に作ったHU-1がベトナム戦争と重なってミラクルヒットしたんだが良く考えるとよく航空機会社吸収時代に生き残れてたな・・・
2007/02/21 03:02 |
試作機の魔窟№.013 ハインケルHe219ウーフー |
現実はそんなに甘くないもので・・・
He219と言えば『悲劇の』だとか『最強の夜間戦闘機』だとか言われるけど実はいろいろ問題のあった機体で今回はそんなお話をしようかと、そもそもHe219はP1055という昼夜爆撃/偵察機計画が下敷きになってて、1940年中頃にドイツ本土が憎っくき英国空軍の夜間爆撃にさらされてドイツ空軍は急遽Do217とかの爆撃機に機銃とかを付けて夜間戦闘機にでっち上げたわけなんだが性能がアレだったこともあって1941年夏頃になると航空省からP1055を夜間戦闘機にしたHe219の開発を命ぜられて、設計を少し変えたモックアップ審査を通過して試作機も安定性が悪い以外は優秀だった。がしかし、みなさんご存知のとおり生産計画が縮小されたりだとか航空省の横槍でなかなか配備は進まない、しかも比較試験によるとHe219はJu188より速度も速いし生産性もいいって言うからハインケルが言ってたみたいにナチ党から嫌われてたんだろうか?
ちなみに速度は600キロから650キロなんて言われるけど実際はレーダーアンテナとか排気管の消炎ダンパーとかの実戦装備のせいで500キロ強から600キロを少し切る程度で言われるほど速くなかったそうだ。しかも大戦も後期になると(もっと)高性能なレーダーを積んだモスキートに喰われることが多くなって生産数が少ないわりには対モッシー用の機種がやたらと多かったりする。あと実戦部隊からの評価が必ずしもよかったわけじゃなくて、最高速度だって速いに越したことはないけどそもそも相手は低速な重爆撃機だからそんなに大事な要素でもないし、滑走路に敵の爆撃で穴ぼこが開くとBf110みたいな後輪式は尻が浮くから問題ないもののHe219は前輪式だからはまって脚を壊すことがあったそうだ。それから世界初の実戦装備型射出座席装置は故障もあったそうであるパイロットは敵爆撃機の反撃を受けてイザ脱出しようとしたら射出レバーが無くなっていたそうで、そう言う場合はキャノピーを開けて飛び出せばいいんだがなにせHe219のプロペラはコクピットの後ろで回ってるもんだからヘタすりゃ飛び出した瞬間ミンチにされかもしれない(そのための射出座席装置でもあるんだが・・・)それにこれは全ての飛行機にも言えるが垂直尾翼が恐いとの話もあった。つまりは性能に出ない部分の欠陥が多かったわけだ。あと風防正面の防弾ガラスも薄くて倒立式の防弾版を付けたりしたそうだが照準器に合わせた縦長覗き穴が付いてるだけの代物だからこりじゃ周りのよく見えない夜間戦闘機の視界なんてほぼゼロになるってことで途中から廃止にされてる。
まあなんだかんだ言ってもHe219が高性能な夜間戦闘機だったのに変りはないんだがそもそも夜間戦闘機なんて攻めの爆撃機に対する究極の守りの兵器だからいくら高性能でも戦局なんて・・・・なんてことは全てに言えるわけでつまりはバランスだね、一番大事なのは