2025/04/30 13:18 |
[PR] |
2006/12/09 00:45 |
試作機の魔窟№.003 |
同じ発想、同じ結末
爆撃機なんかが戦闘機から身を守る方法として編隊飛行がある、防御銃座を持つ機体どうしが密接な編隊を組めば近づいてきた戦闘機に何十倍のお返しができるというわけだ。で、日華事変(いわゆる日中戦争)の教訓で尾部銃座をつけたり強化した一式陸上攻撃機と一〇〇式重爆撃機がほぼ同時期(一〇〇式重爆は皇紀2600年に合わせて早めに採用した)に登場して似たような感じに仕上がって似たような発想が生まれた「編隊の端に銃座を強化した護衛機型を置けばいんじゃね?」普通編隊の端の飛行機が集中的に狙われるからそれを不憫に思ったのかどうかは知らないけどそんなわけで編隊護衛用に一〇〇式重爆の銃座を増設&強化したキー58と一式陸攻の増設&強化して防弾タンクにした十二試陸上攻撃機改が試作された。にしても同時期に腹に銃座を追加なんて話が出来すぎてない?どっちかがパクッたんじゃないのか?
この後両方とも何機か作られたけど十二試陸攻改は重量増加、キー58はたぶん必要性が無くなってキャンセル、たぶん編隊護衛機の発想自体に無理があったんだろう、だいたい編隊を守りたいなら長距離を護衛できる戦闘機を作るか銃座を強化すればいいけどその中間「ミニかキューブが欲しかったけど金がなくてデルタにしたら大ハズレ」みたいな話か?
2006/11/19 23:03 |
試作機の魔窟№.002 |
中島十三試陸上戦闘機
海軍の何でも屋
第二次大戦が始まる少し前、世界では双発戦闘機ブームが旋風していてBf110、屠龍、ポテ30、ボーファイター、P-39なんかが作られた。で、日本海軍でもブームに乗って作ったのがGの七化けの始まり十三試陸上戦闘機だ。ちなみに“Gの七化け”は中島の社内名がGだったとこから来てるのだ。十三試陸上戦闘機は陸攻隊を護衛できて栄発動機2基で零戦以上の(当時はまだ十二試艦上戦闘機)速度と約2400キロの航続距離と重武装を持つ長距離双発戦闘機という要求だったがその中には零戦並み(クドイようだが当時はまだ十二試艦上戦闘機)の運動性を持つという馬鹿げた項目も盛り込まれた。ちなみにこの当時の零戦への要求は九六式艦戦並みの運動性だったんだからやっぱ無理があったんだろう。フラップを工夫したり右の発動機を逆回転させてトルクを打ち消したりしたけど背中の7.7ミリ連装機銃2基が重かったのと元々無理があったのと零戦でも十分陸攻隊をカバーできたから結局採用されなかった。ここで海軍のエライところは無理矢理採用しなかったことで無理矢理採用したBf110はバトルオブブリテンで悲惨な目にあっている。ただ、中島ではすでに十三試陸戦の生産態勢が整っててもったいなかったのと当時有力な陸上偵察機がなかったから旋回銃座を付けたりして二式陸上偵察機として採用して米軍の夜間爆撃が激しくなったら斜銃を積んで夜間戦闘機にしたのは有名な話だ。結局のところ十三試陸戦はその場にあった改造を施されて戦闘機→偵察機→夜間戦闘機と姿を変えていたのだが実は爆装して対地、対艦攻撃をもしていたと言うから呆れる。
ところでなんで遠隔操作式連装旋回機銃なんて装備したんだろうか?普通の旋回銃座じゃだめだったのか?
2006/11/12 02:00 |
試作機の魔窟№.001 |
良かれと思ってやったことが裏目に出た
F4Uコルセアといえば12.7ミリ×6の重武装と高速性と日本軍の重爆に匹敵する兵器搭載量を持った高性能艦戦として有名だがその試作機XF4Uは米海軍初の2000馬力級発動機を搭載し、陸上機に劣らない性能を持つ艦上戦闘機というコンセプトで開発され、機体は完成した当時の艦上戦闘機はおろか陸上機すら上回るの性能を発揮したけれどもこういう高性能を狙った機体にありがちな欠陥が続出してエルロンに到っては米海軍のテスト中に細かい改修が96回もされていた。また、この頃は欧州で激しい空の戦いが繰り広げられている時でそれもあって実戦向けの改修として機首の機銃の廃止とか量産と整備性向上のためにフラップが改良されたが被弾の可能性の高かった翼内燃料タンクを胴体に移すという作業が行なわれたんだがこれがこの機体の運命も変えた要因の一つになってしまった。胴体直径と重心の関係からどうしても機首に移さなくちゃいけなくなったからコクピットを81㎝後方にずらした結果ただでさえ悪かった前方視界が極限まで悪化してしまいその他の欠陥も相まって空母から降ろされてしまったのは有名な話だ。ちなみにXF4U-1では主翼内に対爆撃機用小型爆弾40発を搭載できたがやっぱり実用性に問題ありとのことで早々と廃止されたがなぜ艦載機に対爆撃機用爆弾を搭載できるようにしたのかという点には触れないでおこう