2024/04/25 10:27 |
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2006/11/19 23:03 |
試作機の魔窟№.002 |
中島十三試陸上戦闘機
海軍の何でも屋
第二次大戦が始まる少し前、世界では双発戦闘機ブームが旋風していてBf110、屠龍、ポテ30、ボーファイター、P-39なんかが作られた。で、日本海軍でもブームに乗って作ったのがGの七化けの始まり十三試陸上戦闘機だ。ちなみに“Gの七化け”は中島の社内名がGだったとこから来てるのだ。十三試陸上戦闘機は陸攻隊を護衛できて栄発動機2基で零戦以上の(当時はまだ十二試艦上戦闘機)速度と約2400キロの航続距離と重武装を持つ長距離双発戦闘機という要求だったがその中には零戦並み(クドイようだが当時はまだ十二試艦上戦闘機)の運動性を持つという馬鹿げた項目も盛り込まれた。ちなみにこの当時の零戦への要求は九六式艦戦並みの運動性だったんだからやっぱ無理があったんだろう。フラップを工夫したり右の発動機を逆回転させてトルクを打ち消したりしたけど背中の7.7ミリ連装機銃2基が重かったのと元々無理があったのと零戦でも十分陸攻隊をカバーできたから結局採用されなかった。ここで海軍のエライところは無理矢理採用しなかったことで無理矢理採用したBf110はバトルオブブリテンで悲惨な目にあっている。ただ、中島ではすでに十三試陸戦の生産態勢が整っててもったいなかったのと当時有力な陸上偵察機がなかったから旋回銃座を付けたりして二式陸上偵察機として採用して米軍の夜間爆撃が激しくなったら斜銃を積んで夜間戦闘機にしたのは有名な話だ。結局のところ十三試陸戦はその場にあった改造を施されて戦闘機→偵察機→夜間戦闘機と姿を変えていたのだが実は爆装して対地、対艦攻撃をもしていたと言うから呆れる。
ところでなんで遠隔操作式連装旋回機銃なんて装備したんだろうか?普通の旋回銃座じゃだめだったのか?
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