2025/05/03 12:53 |
[PR] |
2007/07/05 18:03 |
大将か大将か? |
これを見てふと思ったんだけど海自に大将ができたらそのまま「たいしょう」と読むのだろうか、それとも海軍の伝統で「だいしょう」と読むのだろうか?ついでに今現在海自は大尉、大佐、大将、ついでに高射砲はなんと読んでいるのだろう?
2007/06/24 00:49 |
試作機の魔窟№.023 中島九七式艦上偵察機 |
「やっぱりいりません」
日本海軍が運用した機種の中でおそらくもっとも幸の薄いのは艦上偵察機だろう、日本初の空母「鳳翔」に搭載された記念すべき一〇式トリオの一角である一〇式艦偵から海軍最速の駿馬「彩雲」に至るまで肝心の“空母”での運用がまったくされていないのだ。一〇式艦偵は元にされた一〇式艦攻で十分とされ、九〇式艦偵は急降下爆撃機の研究として極少数生産、二式艦偵は母艦もろともミッドウェーの藻屑と消え彩雲に関しては空母そのものがなくなっていた。ただ、これらの偵察機たちは空母には載らなくても一〇式は海軍初の艦上偵察機で練習機としても使われたし九〇式は急降下爆撃機開発の役に立ったに二式はそもそも彗星の開発上に生まれた派生型だし彩雲は空母がなくとも陸上偵察機としてがんばってくれた。がしかし、これらの“役に立った”もしくは“そこそこ役に立った”連中とは違い役に立たなかった上に存在意義さえ怪しい艦偵がいた、それが九七式艦上偵察機だ。
この九七式艦上偵察機(十試艦上偵察機)はそもそも同時期に中島と三菱の十試艦上攻撃機(後の九七式艦攻)開発時に海軍が中島に特命で作らせたもので、実はこの当時海軍には長距離偵察に使える高性能な偵察機がなくて陸軍の九七式司令部偵察機の民間機型を改造しての導入及び十試艦攻開発に伴って中島に開発させた。ただ、当たり前なのだが中島は十試艦攻の開発で忙しい、実はこの当時の海軍艦攻は中島と三菱が試作しては共々不採用通知を喰らう、を繰り返してた暗黒期でしかもまだ艦攻を採用されていなかった中島としてはなんとしても採用されたかったわけだ。こので十試艦偵は十試艦攻の設計を流用して平行開発を行うことにして完成した機体は固定脚でサイズが一回り小さい意外は九七式1号艦攻そっくりで性能は固定脚だが軽くて小さい分性能は上だったけど、そもそも新機軸をたくさん使った九七式艦攻自体が高性能で偵察機としても使えることが分かって採用はされたものの生産は試作された2機だけで一〇式艦偵、と言うよりはライバルだった三菱の九七式2号艦攻と似たような理由で本格的には使われなかったわけだ。性能自体は良かったから結局中国大陸に送られて細々と使われたんだがそもそもこの偵察機必要だったんだろうか?どうにも開発時期と会社を間違えてて気がする
2007/06/22 23:54 |
特別編 ミリ系本紹介(と感想):世界のミリメシを実食する~実際に作ってみた編~ |
下記の「世界のミリメシを実食する」142ページに記されている帝国陸軍の油揚げ飯を作ってみた。
使う材料は
1.油揚げ
2.カツ節
3.飯
4.醤油
う~ん、シンプル
まずお湯を沸かします。
同時に油揚げを短冊切りにしましょう
煮立ったら油揚げとカツ節を入れてから醤油で味を整えます。
後はご飯に混ぜるだけ
・
・
・
・
・
・
・
ウ~ン、シンプリー
そしていただきまーす。
うっ、・・・・
醤油の量が少なかったのとご飯を普通に炊いたせいで極薄味&べちゃべちゃに・・・
こういうオチか・・・・・・
2007/06/22 23:44 |
第02回 ミリ系本紹介(と感想):世界のミリメシを実食する&続・ミリメシおかわり! |
★★★★☆
説明内容
★★★☆☆
オススメ度
★★★★☆
そういえばあくしず今月号の付録でも紹介されてた世界のミリメシを実食する&続・ミリメシおかわり!、ちなみに上に乗ってる銀色のは「おかわり!」のおまけのアメリカ陸軍P-38カンオープンナー
あまり深く掘り下げていないから資料的価値はそんなに高くないが、はっきり言って面白い!
やっぱりパスタは欠かせないイタリア軍に地味でビスケット以外はある意味“地味”な英国軍、そして全体的に茶色で色気無しなロシア宇宙軍
ちなみにイギリスレーションのオレンジフレーバーは約30gの粉末に水1リットルを注げという恐ろしい代物
2007/06/20 01:32 |
試作機の魔窟№.022 愛知十七試攻撃機「晴嵐」M6A1 |
世界初(で最後)、潜水艦艦載特攻機!
潜水空母、それは漢の浪漫!エ○スコンバットだったりフル○パニックだったりと人気者なのだが意外と実用性が低い話はまぁまたそのうちということにして、よくも悪くも日本はヒコーキを乗せた潜水艦を実際にちゃんと使った最初で最後の軍隊で、その前にも米英独仏なんかでも実験して結局実用化できずじまいであきらめたのを日本海軍はコツコツがんばっていたってことだ。よく考えると酸素魚雷だったり下瀬火薬だったり日本軍はこの手の”欧米で見捨てられたモノ”を使うのが好きだよなぁ。
さて、話を本題に移しましょう。そもそも何で潜水艦に飛行機を載せる必要があるのかと言うと潜水艦の任務には通商破壊のほかにも隠密性を活かした偵察任務もあって実際に日本の伊30はアフリカ東海岸の英軍基地を偵察してたりするわけなんだがことときはもちろん搭載していた零式小型偵察機を使っている。そもそも潜水艦のブリッジは水の抵抗を避けるためになるたけ低くされてて水上艦に比べて見渡せる範囲が狭いのだ。それで偵察、索敵のために小型偵察機を搭載したわけなんだがいかんせん潜水艦の中は狭い、だから乗せる偵察機も小型化優先で潜水艦に乗せれる以外では何の取り得もないような低性能なわけだから当然攻撃任務なんかは全然考えていないわけだ。そこで水上攻撃機2機を搭載した超大型の攻撃専門潜水艦「伊四〇〇型」(特型潜水艦)を作ろうということになった。ちなみに巨人・大鵬・玉子焼きではないが日本海軍は大和・信濃・四〇〇型と実戦投入された中では軍艦トップ3共々世界最大だった、ちなみに戦中にもっとも活躍していなくて有名な軍艦でもあるんだが・・・。それでこの巨大潜水艦に載せる攻撃機には最初艦上爆撃機「彗星」にフロートを付けようとしたそうなんだが構造上の問題からあきらめたらしい、この辺の話はあまり詳しく分からないんだがそもそも彗星の主翼が空母のエレベーターギリギリのサイズで折り畳み装置がなかったからその辺の関係で潜水艦の格納庫にしまうのに無理があったんじゃないだろうか?それで海軍は彗星の生産をしていた愛知に彗星を参考に潜水艦搭載の水上攻撃機を設計させた。このときの名前が十七試攻撃機なのだが勘というか知識のある人ならピンとくるかもしれないのだが実は『日本が大戦中に実用化した最後の軍用機~』と言われる彩雲も十七試、ちなみに対潜哨戒機「東海」も十七試で『日本が大戦中に実用化した最後の軍用機彩雲』は真っ赤な嘘なのだ。ちなみに彩雲のくだりにはまだ続きがあるのだがそれはまたの機会に
それで愛知は何とか最初の試作機を完成させてこれは彗星の脚を流用した実験機「南山」(晴嵐改)と呼ばれて後でフロート付きのができると晴嵐と名づけられたらしい、晴嵐は主翼付け根部分から90度回してから後方に折り畳めてフロート別に格納できて、魚雷か八〇番爆弾までを搭載できた。載せるべき特型潜水艦の建艦数が減ったりして搭載機を3機にしたりして昭和20年8月末にパナマ運河攻撃を計画していたけど7月中旬に目標をもっと手近で直接的な効果のあるウルシーに変更して途中で終戦を迎えている。生産台数28機と機種と生産次期からかなり少なく実は晴嵐は終戦まで試作機扱いで制式採用はされていなかったらしい、まあ時代背景を考えれば仕方が無いのかもしれない