忍者ブログ

ミリタリーな戯言と独り言

軍事系戯言の坩堝
RECENT ENTRY RECENT COMMENT
[03/05 チョッパー]
[03/02 ichi]
[03/01 チョッパー]
[03/01 ichi]
[03/01 チョッパー]

2017/11/24
20:17
[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

2007/06/20
01:32
試作機の魔窟№.022 愛知十七試攻撃機「晴嵐」M6A1

世界初(で最後)、潜水艦艦載特攻機!
731af0c8.jpg潜水空母、それは漢の浪漫!エ○スコンバットだったりフル○パニックだったりと人気者なのだが意外と実用性が低い話はまぁまたそのうちということにして、よくも悪くも日本はヒコーキを乗せた潜水艦を実際にちゃんと使った最初で最後の軍隊で、その前にも米英独仏なんかでも実験して結局実用化できずじまいであきらめたのを日本海軍はコツコツがんばっていたってことだ。よく考えると酸素魚雷だったり下瀬火薬だったり日本軍はこの手の”欧米で見捨てられたモノ”を使うのが好きだよなぁ。
さて、話を本題に移しましょう。そもそも何で潜水艦に飛行機を載せる必要があるのかと言うと潜水艦の任務には通商破壊のほかにも隠密性を活かした偵察任務もあって実際に日本の伊30はアフリカ東海岸の英軍基地を偵察してたりするわけなんだがことときはもちろん搭載していた零式小型偵察機を使っている。そもそも潜水艦のブリッジは水の抵抗を避けるためになるたけ低くされてて水上艦に比べて見渡せる範囲が狭いのだ。それで偵察、索敵のために小型偵察機を搭載したわけなんだがいかんせん潜水艦の中は狭い、だから乗せる偵察機も小型化優先で潜水艦に乗せれる以外では何の取り得もないような低性能なわけだから当然攻撃任務なんかは全然考えていないわけだ。そこで水上攻撃機2機を搭載した超大型の攻撃専門潜水艦「伊四〇〇型」(特型潜水艦)を作ろうということになった。ちなみに巨人・大鵬・玉子焼きではないが日本海軍は大和・信濃・四〇〇型と実戦投入された中では軍艦トップ3共々世界最大だった、ちなみに戦中にもっとも活躍していなくて有名な軍艦でもあるんだが・・・。それでこの巨大潜水艦に載せる攻撃機には最初艦上爆撃機「彗星」にフロートを付けようとしたそうなんだが構造上の問題からあきらめたらしい、この辺の話はあまり詳しく分からないんだがそもそも彗星の主翼が空母のエレベーターギリギリのサイズで折り畳み装置がなかったからその辺の関係で潜水艦の格納庫にしまうのに無理があったんじゃないだろうか?それで海軍は彗星の生産をしていた愛知に彗星を参考に潜水艦搭載の水上攻撃機を設計させた。このときの名前が十七試攻撃機なのだが勘というか知識のある人ならピンとくるかもしれないのだが実は『日本が大戦中に実用化した最後の軍用機~』と言われる彩雲も十七試、ちなみに対潜哨戒機「東海」も十七試で『日本が大戦中に実用化した最後の軍用機彩雲』は真っ赤な嘘なのだ。ちなみに彩雲のくだりにはまだ続きがあるのだがそれはまたの機会に

それで愛知は何とか最初の試作機を完成させてこれは彗星の脚を流用した実験機「南山」(晴嵐改)と呼ばれて後でフロート付きのができると晴嵐と名づけられたらしい、晴嵐は主翼付け根部分から90度回してから後方に折り畳めてフロート別に格納できて、魚雷か八〇番爆弾までを搭載できた。載せるべき特型潜水艦の建艦数が減ったりして搭載機を3機にしたりして昭和20年8月末にパナマ運河攻撃を計画していたけど7月中旬に目標をもっと手近で直接的な効果のあるウルシーに変更して途中で終戦を迎えている。生産台数28機と機種と生産次期からかなり少なく実は晴嵐は終戦まで試作機扱いで制式採用はされていなかったらしい、まあ時代背景を考えれば仕方が無いのかもしれない

PR
COMMENT
Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
URL
FONT COLOR
PASS

TRACK BACK

トラックバックURLはこちら