2025/05/01 22:42 |
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2008/02/03 03:30 |
ガバメント×2 |
最初に言っておきますが自分は他の人とはビミョー(?)に感性がずれていて、例えるならば“趣味が悪い”と言っても差し支えないかもしれません
で、その集大成
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前に悪趣味カスタムガバは紹介しましたがそれは布石に過ぎなかった・・・
ちなみに二次元のほうの今年にやりたいこと・目標(上半期編)
にランクインしてませんがこいつは「できたらいいな~」程度だったのですが9000円の中古美品が入手できたのでやっちゃいました。
またしょうもない裏話ですが実は最初KSCのソード・カトラスが気になっていたのですがお値段がクソ高い(M14の42%買えます)のと実物が正直ショボかったのでキャロムショットのプリントグリップとロングインナーバレルを組み合わせて自分でカスタムしました。ちなみにお値段はガバが新品として1つ2万弱のお求め価格となっております。
インナーバレルが長くて高精度なので命中精度が高くなっているハズで14ミリ逆ネジが付いてるので(似合わないだろうが)サプレッサーも装着可。基本的に同じですが送料の関係で買ったハードリコイルスプリングが片方のみ付いています
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2008/01/26 12:35 |
くろがね四起 |
2008/01/11 01:29 |
世界の迎撃機~創生と日本海軍編~ |
迎撃機:敵の爆撃機を追い払う局地防空用の戦闘機
日本で本格的な迎撃機(重戦闘機)が構想されたのは意外と早く昭和13年には研究が始まりそれが二式単座戦闘機キー44となっていて、海軍でも約1年後れで十四試局地戦闘機(後の雷電)の開発をスタートさせている。これは日華事変では日本軍基地への空襲が少なからずあり、特にソ連製のSB爆撃機の場合従来の戦闘機では迎撃が困難だったことがある。雷電は振動問題の解決等にさんざん悩まされて配備が大きく遅れたが二式単戦は軍の軽戦主義といささかの性能不足もあって審査は放置されたがドイツからやってきたBf109との模擬戦で一式戦では歯が立たないことが分かって重戦のキー44とキー60で対戦したところ好成績を収めたことを受けてほぼ採用が決定した。後述になるが川崎のキー60に関してもしても説明しておこう、陸軍では製造ライセンスを獲得したドイツのDB601を使った重戦闘機キー60が作られたがラジエーターの位置などに不備があったようで性能は振るわず、その経験が後発のキー61に活かされることとなる。
海軍では迎撃機(局地戦闘機)の必要性は痛感していたが雷電の開発が一向に進まないため応急処置として川西の水上戦闘機「強風」を改造して陸戦化した仮称一号局地戦闘機(後の紫電)が開発されたが搭載される「誉」発動機の調整もほぼ平行作業として行われたため機体と発動機のトラブルが続出して海軍への引渡しと実戦配備は大いに遅れ、結果的に部隊への引渡しは雷電と大差無くなってしまった。さらに“緊急”と言う事で製作された紫電は中翼からくる主脚周りのトラブルや安定不良気味などの問題もあってこれらを解決するために大幅な改修を行った紫電二一型(紫電改)が作られ汚名返上となったが紫電、紫電改共に上昇力と高空性能が不足していたためB-29迎撃ではあまり活躍はできなかった。また、海軍では一号局戦以降に来たる超重爆撃機B-29迎撃のために誉2基を搭載した十八試局地戦闘機「天雷」や後方推進に先尾翼の十八試局地戦闘機「震電」、双胴に後方推進の十七試局地戦闘機「閃電」、ロケット戦闘機「秋水」などの迎撃機が製造、計画されていた。
天雷は大馬力の誉を搭載した双発迎撃機として開発され、防弾を施した小さな機体に重武装を備えた高速迎撃機となるはずだったが誉のトラブルと重量過大、さらに部分失速と振動問題で開発は中止された。
双胴、後方推進という特徴を持つ閃電は後方推進機最大の欠点である発動機の冷却問題は解決できたものの搭載予定の発動機ハ43四一型にスパーチャージャーを装備したが不具合が発生し、風洞試験でもエレベーターのバフェッティングが発生しその問題解決ができないでいるうちに試作機の統合整理で震電が順調だったこともあって開発が中止されている。双胴形状は空気抵抗を減らすことはできるが面積が増えるため摩擦で結果的には±0となる可能性があるが閃電は中翼形状や薄型翼などで抵抗を極限させようとしていたようだ。
有名な震電と秋水は割愛するがこのほかにも艦戦の烈風を高々度戦闘機化した烈風改計画もあった。また、これらとは別に現用機の性能向上を図るために迎撃機としての性能が高かった雷電や紫電改の改修も行われていた
日本で本格的な迎撃機(重戦闘機)が構想されたのは意外と早く昭和13年には研究が始まりそれが二式単座戦闘機キー44となっていて、海軍でも約1年後れで十四試局地戦闘機(後の雷電)の開発をスタートさせている。これは日華事変では日本軍基地への空襲が少なからずあり、特にソ連製のSB爆撃機の場合従来の戦闘機では迎撃が困難だったことがある。雷電は振動問題の解決等にさんざん悩まされて配備が大きく遅れたが二式単戦は軍の軽戦主義といささかの性能不足もあって審査は放置されたがドイツからやってきたBf109との模擬戦で一式戦では歯が立たないことが分かって重戦のキー44とキー60で対戦したところ好成績を収めたことを受けてほぼ採用が決定した。後述になるが川崎のキー60に関してもしても説明しておこう、陸軍では製造ライセンスを獲得したドイツのDB601を使った重戦闘機キー60が作られたがラジエーターの位置などに不備があったようで性能は振るわず、その経験が後発のキー61に活かされることとなる。
海軍では迎撃機(局地戦闘機)の必要性は痛感していたが雷電の開発が一向に進まないため応急処置として川西の水上戦闘機「強風」を改造して陸戦化した仮称一号局地戦闘機(後の紫電)が開発されたが搭載される「誉」発動機の調整もほぼ平行作業として行われたため機体と発動機のトラブルが続出して海軍への引渡しと実戦配備は大いに遅れ、結果的に部隊への引渡しは雷電と大差無くなってしまった。さらに“緊急”と言う事で製作された紫電は中翼からくる主脚周りのトラブルや安定不良気味などの問題もあってこれらを解決するために大幅な改修を行った紫電二一型(紫電改)が作られ汚名返上となったが紫電、紫電改共に上昇力と高空性能が不足していたためB-29迎撃ではあまり活躍はできなかった。また、海軍では一号局戦以降に来たる超重爆撃機B-29迎撃のために誉2基を搭載した十八試局地戦闘機「天雷」や後方推進に先尾翼の十八試局地戦闘機「震電」、双胴に後方推進の十七試局地戦闘機「閃電」、ロケット戦闘機「秋水」などの迎撃機が製造、計画されていた。
天雷は大馬力の誉を搭載した双発迎撃機として開発され、防弾を施した小さな機体に重武装を備えた高速迎撃機となるはずだったが誉のトラブルと重量過大、さらに部分失速と振動問題で開発は中止された。
双胴、後方推進という特徴を持つ閃電は後方推進機最大の欠点である発動機の冷却問題は解決できたものの搭載予定の発動機ハ43四一型にスパーチャージャーを装備したが不具合が発生し、風洞試験でもエレベーターのバフェッティングが発生しその問題解決ができないでいるうちに試作機の統合整理で震電が順調だったこともあって開発が中止されている。双胴形状は空気抵抗を減らすことはできるが面積が増えるため摩擦で結果的には±0となる可能性があるが閃電は中翼形状や薄型翼などで抵抗を極限させようとしていたようだ。
有名な震電と秋水は割愛するがこのほかにも艦戦の烈風を高々度戦闘機化した烈風改計画もあった。また、これらとは別に現用機の性能向上を図るために迎撃機としての性能が高かった雷電や紫電改の改修も行われていた
2008/01/10 00:45 |
スパム・スパム・スパム |
2008/01/07 21:44 |
篠原99式強襲空挺レイバーARL-99 ヘルダイバー |