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ミリタリーな戯言と独り言

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2008/09/21
03:21
世界の迎撃機~ドイツ空軍辺~

先に、ブログの方は夏休み中に(マトモな)更新をしようとしていましたが父が倒れてしまいそれどころではなくなり長らく放置状態となっていたことをお詫びします。追記父は現在医者も驚くほど回復(と呼んでよいのかは分かりませんが)しているようです

栄えあるルフト・バッフェの迎撃戦と言えばB-17vsの本土防空戦がメインであり、初期には英国空軍も昼間爆撃をしたものの英国の爆撃機は爆弾搭載量が多い割りには性能が低めで防御銃座も給与機とランカスターの発展型リンカーン爆撃機を除けば「ドイツ軍機に当たると表面でパチパチ弾ける」7.7㎜機銃だったから威力不足だった。ちなみに蛇足だがこの7.7㎜機銃を搭載した旋回銃座に穴から顔を出すハンプティ・ダンプティみたいな形のFN7と言う銃座があったがこいつは前後非対称なせいで回すと振動を起こしたり不安定性になってしまうそうだ。何考えてるんだかね
そういう訳で英国爆撃機は性能がアレだったのとドイツの防空体制がアレだったので必然的に夜間爆撃を主軸たしたわけでドイツ軍迎撃部隊の相手は政治的理由から昼間爆撃を選んだ(この辺は先月の“MCあくしず”に詳しく書いてあるよ、恥ずかしがらずに調べてみよう)米国陸軍の爆撃機となった。(ちなみに米陸軍では双発は中高度、四発は高々度爆撃と振り分けていた)
もちろん独空軍主力戦闘機のBf109やFw190が使われたのだがそれぞれ迎撃戦闘機としては問題がありBf109はDB600系液冷エンジンのおかげで高々度は問題ないが翼内武装が無い(できない)ので火力不足
FW190は武装は強力だがエンジンのBMW801が高々度だとパワーが下がると言う相対的問題が出てきた。
Bf109の火力は重爆機相手の場合機首の13㎜2挺と20~30㎜モーターカノン1門のため不足気味でF型の時に翼内の20㎜機関砲が撤廃された当初から翼内装備復活の声があり、現地改造で装備したパイロットもいたが構造的に難しいのとメッサーシュミット博士がゴネたため最終生産型のK型の一部で復活したに止まり、翼下に装着するガンパックはあったものの装備すると抵抗と重量で護衛戦闘機には太刀打ちできなくなる代物だったため根本的解決はできなかった。Fw190は改修案としてエンジンの換装が提案されターボ過給器付きのBMW801TJと液冷のDB603とJumo213への換装案が提案されそれぞれB、C、D型と命名され最終的にはD型が生産されることとなったが元来爆撃機用発動機の発展型であるJumo213のレスポンス等を気にしたタンク博士は出力が同等でサイズは大きいが戦闘機用のDB603にこだわっていたがターボ過給器などの問題から開発は中止され、B-29などの新型爆撃機対策として開発されたTa152でもDB603系を装備したTa152C型が開発されたが生産はされていない。その他には重武装の駆逐戦闘機のBf110やMe210、Me410がそこそこ活躍したものの護衛戦闘機が着くと相手にならなかった。

さらに問題だったのが米爆撃機の防御銃座で低進弾道性に優れた12.7㎜M2機銃がB-24で10挺、B-17Gで13挺装備されていたから下手に接近すると戦闘機の射程外から撃たれるため真正面からのヘッドオンや銃座の回転速度を上回る速度で斜め後方からすれ違いざまの偏差射撃などがされた。ヘッドオンの場合Bf109にしろFw190にしろドイツ軍の戦闘機は機首側に武装が集中していてFw190の機銃の集中点が約800mに対して日本軍機の場合約200mだから遠距離から射撃を始めるヘッドオンには有利だったのだろう、そのほかには陸軍の210ミリロケット弾を流用した対空ロケット弾発射器W.Gr21があり、時限信管で周囲30mの被害範囲を持っていたが翼下にブラ下げるため機体の性能低下が著しく初速が秒310mと遅く弾道が弓なりで照準線と合わせるために上向きに装備されるなど使い辛かったため「煙幕発射装置」や「煙突」と呼ばれ主に爆撃機編隊を崩すためのこけおどし武器として使われていた。

そのほかにはルフト・バッフェ最大の切り札であるMe262とMe163がおり、Me163とMe262は強力なMK108 30㎜機関砲と高速を武器とする機体だったが絶対数が足らないのに加えMe163は運用が難しいのと事故の危険が大きかったのがあるが事故のほうは従来言われるようなロケットエンジンによるものよりも離着陸装置と急降下による音速の壁での空中分解が多かったらしく、Me262は迎撃戦には最良の機体で活躍もしたがエンジンや登場の遅さなどから焼け石に水としかならなかった。

ドイツ空軍は迎撃機と言う観念が薄かったのか専用機と言う意味ではMe163まではほぼ無かったと言っていい、またレーダーや無線機など日本より格段に進んだ技術も持ち合わせ、夜戦では終始善戦していたが昼間に関しては物量に磨り潰されることとなった。

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物量戦
2008年09月24日水

お久しぶりです、又来ました(笑)お父様の回復振りを想像して安心しております。
知識が不足なichiですが、今後もどうぞ宜しくお願い致します。
さて、当時の空対空戦闘、爆撃機の頑丈さは想像以上の様ですね(笑)。
今の20㍉弾一つにして、いかに高性能に進化したかと思います(私、弾薬については当時で完成したと思ってました(笑)距離とタイミングが肝でしょうか、人間の勘と機械の性能とは似ていませんが密接な関係であるかと思いました。

無題
2008年09月26日金

爆撃機が頑丈と言うよりは米軍機がい異様に頑丈と言うべきかも知れないですね。体当たりや高射砲弾の至近弾を食らっても帰ってきたりするんで怖いですね。
そういえば前に20㎜弾を食らった英国爆撃機の写真を見ましたが胴体に大穴が開いてるものがありました。

20㍉
2008年09月29日月

弾は強力でも防御次第ですね…いかにして…炭酸ガスボンベでも積んでいたんでしょうか…現在もタンク内はゴム袋にシール材(材質は分かりませんが…)なんかを使って、防爆と漏洩を防ぐとは聞きますが、当時いかに鉄壁の防御を施したかと思います。
B29の搭載量に倍近いF4はそこら辺に何か在るのかと感じます。

無題
2008年10月02日木

B-29と言うか米軍機全般ですがガソリンに反応して溶けないものと溶けて穴をふさぐゴムでできた防漏タンクが一番大きかったようですね

余談ですが燃料タンクは満載だと発火しませんが空になるとしやすくなるとの話でガソリンは液体よりも気化ガスのほうが引火しやすいからだそうです

なるほど
2008年10月02日木

そうですね、ゴム袋なら常に液体で充満させておけますね、理にかなってます、しかし加圧しながらガソリンをそこまで制御するのは、やはり大したものです、図面に興味ありです(笑)有難うございます。

無題
2008年10月04日土

多銃主義と大口径主義の論争で「大口径は小便ダマ、当たらなければ意味がない」との意見が多いですが小口径弾だと防御の固い米軍機相手では当たってもゴムで塞がって効果がないので威力の大きい炸裂弾の使える20㎜が多用されたのは自然の成り行きだったのかもしれませんね

モータ-カノン
2008年10月06日月

興味があります、軸線に近く、高性能で重い機銃は重心近くに、思い切ってクランクシャフトの中に砲身通したくなります(笑)

無題
2008年10月11日土

モーターカノンはイギリス以外だと結構やっていますがなぜかBf109とエアラコブラだけが妙に注目されますね
それはともかくいくら中心軸に近いほうがいいからと20mmを機首に設置したのは世界中探しても三式戦と一式戦(試作)ぐらいでしょうね

当時
2008年10月15日水

当時の陸軍の飛行訓練日記、田克己小尉と言う方の書かれた物をサイトで拝見しました。
三式戦と九七式戦による訓練内容と特攻出撃までの内容でした。
何とも言えませんが、御興味がありましたら是非御覧下さい。
機首の20㍉を検索致し、思わず見付けました。

無題
2008年10月16日木

興味があるのでURLを教えていただければと思います。

立場は違いますが陸軍の技術将校で“整備の神様”と呼ばれた故刈谷正意氏の遺稿をまとめた「日本陸軍試作機物語」が光人社から発行されいて、現場と開発者の中間の立場で試作から運用までの様子を綴った一冊で軍用機の導入から終戦までの数多くの機体の開発の様子や意外なエピソード(九七式戦の途中でスロットルレバーの操作が逆にされたためそれを忘れた兵士が別の戦闘機に突っ込んだなど)が多く語られていてゼヒ一度は読んでもらいたい一冊です。
最終章で終戦を迎えた刈谷氏が涙ながらにプロペラを降ろされた疾風の操縦席で叫んだ『われわれは戦争に敗けた。だが、戦闘には敗けていないんだ!』の言葉が心に染みました

遅くなりました
2008年10月19日日

こちらですhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/yorita-top.htm

無題
2008年10月21日火

当時の訓練の様子や状況がよく分かりました。やはり今も昔も(ましてや苦しい戦況の中でも)パイロットは多くの課程を経て育て上げられるものだと感じました。

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